伊丹ユネスコ会報No.43 2005年1月発行
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ユネスコ講座 講演会 『文楽の魅力』
文楽人形遣い 三世 桐竹勘十郎さん
2004年10月25日
いたみホール(中ホール)
 「人形浄瑠璃文楽」は、2003年11月にユネスコ「人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言」として登録された。それを受けて桐竹勘十郎さんをお迎えして講演会を開催した。勘十郎さんの人気で、会場は満席となった。

文楽の歴史
 文楽は、物語を語る浄瑠璃、それを演奏する三味線、それに合わせて演技する人形が舞台の上で溶け合う三業が一体となった芸術である。語り物としての浄瑠璃は、古くは琵琶法師にまでさかのぼる。浄瑠璃の天才、竹本義太夫(1651年大阪天王寺生まれ)は1684年に道頓堀に竹本座を建て、義太夫節で大阪中の人気を独占した。その後、豊竹座ができ二つの小屋は浄瑠璃の全盛期を作りあげた。

人形遣い
 当初、人形は一人遣いであったが工夫されて、三人遣いとなった。1734年竹本座で上演された「芦屋道満大内鏡(あしやどうまんおおうちかかみ)」出初めて使われ、今年で丁度、270年目になる。「三人遣い」は、首(かしら)と右手を遣う、中心となる「主遣い(おもづかい)」、左手を遣う「左遣い」、両手で両足を遣う「足遣い」〜成り立っている。人形遣いには教科書はなく、形を身体で覚え弟子に伝えていく芸能なので、心して精進しなければすくに形が崩れていく。三人の呼吸がぴったり合わなければ人形の動きはパラパラになってしまう。
 「足遣い」は、うしろから中腰に構え、人形の踵(かかと)につけられた「足金」を持って足を操る。(女の人形には足がないので衣装の一部を手ではさんで持ち、足のように見せる。)「足遣い10年」と言われ、長い期間の修業が重要である。この間に主遣いからの合図も会得していく。文楽の世界は世襲制ではないので実力があれば主遣いにもなれる。
 「私(勘十郎)も足を15年遣いましたが、最後の方は卒業論文のような、勧進帳の弁慶、八重垣姫など重要な足を遣いました。これらの難しい訳になると、足遣いでも出遣いになり、紋付き・袴で足を遣います。」と言われた
 主遣いは、足遣いの姿勢が楽なように舞台下駄という特殊な高下駄を履いている。

人形の仕組み
 主遣いが、左手で人形の背中から、首につながる胴(どぐし)という棒を握って人形全体を支え、右手で人形の右手を操作する。目や眉、口の表情だけでなく心の動きまでをあたかも生身の人間のように豊かに表現する。
 実演の中では特に、警戒しながら機敏に動く、怪しげな白狐(一人遣い)の演技に客席から感嘆の声が上がった。
 休憩後、勘十郎さんは三人遣いで「艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)」のお園を演じられた。舞台が酒屋の店先にかわり、嘆き悲しむお園さんの表情や三人の息の合った演技を堪能した。文楽劇場では目にすることができない、手すりの下の舞台下駄などの動きまで見ることができた。
 勘十郎さんは後継者の育成を含め、文楽への熱い思いを込めて語られ、私たちは文楽をより身近なものに感じた。世界的に高く評価された文楽を誇りとし、これからもこの日本の伝統芸能を守り振興させるため、協力していきたいと思う。
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