寄稿「マリ共和国を訪問して」

はじめに
 マリ共和国の名前はご存知の方も、場所まで思い浮かべるのは難しいのではないでしょうか。マリは西アフリカの内陸国。マリってどこ、どころかマリって誰?と聞き返されかねないほど遠い所です。私は1999年から約8年間マリの姉妹の支援をした縁で昨年3月マリを訪れ、さらに昨9月に教育制度などを見て来ました。
マリの村を訪問
 マリの首都バマコは、埃っぽく騒々しい街です。人々とオートバイとが行き交い、ヤギが道端につながれています。
 姉妹の村にはバマコから日帰りで訪れました。軽く100人を超える子供が集まり、村の人々は着飾っています。大きな木の下でグリオと呼ばれる音楽家の演奏と踊りが続き、私も一緒に楽しみました。家族からは伝統の泥染めの布を贈りものに頂きました。
 里親をしていてひとつ残念だったのは、子供が書いた手紙を受け取ったことがないことでした。手紙はすべてボランティアの口述筆記です。マリでは字の書ける人は少なく、姉妹の両親をはじめ村人はふつう読み書きが出来ません。
マリの世界遺産めぐり
 マリには世界遺産が4つあります。私はその3つを周りました。ニジェール川流域の文教都市で世界最大の泥のモスクのあるジェンネ旧市街。欧米の探検家たちに黄金郷と称されたサハラ砂漠の街トンブクトゥ。そしてバンディアガラの断崖(ドゴン人の地)です。(うち2つは昨年NHKで紹介されていました)ドゴンの人々は独特の生活様式や思想、ダンスなどで知られ、断崖絶壁の村で暮らしています。私は早朝トレッキングで村めぐりをしました。休んでいると男の子が学校で習ったという英作文のノートを見せに来ました。
マリってどんな国
 *着倒れの国・・マリの人はお洒落です。全身のコーディネイトをととのえ、すらりと姿勢よく歩いています。
 *食事が美味・・ごはん(米食です)に野菜と鶏肉などを煮込んだソースをかけて食べるのは、なかなか美味しい。パンも美味しい。旧宗主国フランスの置き土産です。
 *バオバブの木・・乾燥した大地の風景は米国などでも見かけますが、バオバブの木は、やはりアフリカ。そしてサヘル(サハラ砂漠近域)ならではのもの。バオバブとカリテ(シア)は、香料、薬草、オイル、燃料などとして、葉から根まですべて利用されます。
 *沖縄にそっくり?・・ブーゲンビリアの生垣。赤茶けた建物。染織。街角でお茶を飲む老人。ヤギを飼う習慣。歌や踊りの好きなことなど、沖縄、とりわけ離島に似たところがなぜか多いのは不思議です。
 *アラブの近さ・・マリの北部はサハラ砂漠。この砂漠は北アフリカからアラブにつながり、砂漠の民はラクダに乗って往来します。マリにイスラム教徒が多いわけを納得しました。アラブの国々は豊かで資本参入も多く高級ホテルはリビア資本です。この他、中国製品の多さが目につきました。
マリの教育現場
 マリでまず改善すべきは教育、といわれています。そこで、9月には教育現場をいろいろ見ました。バマコ市内の小中学校、孤児院、文房具や教科書のマーケットのほか、農村で活動するNGOの現場に同行させてもらい、村の学校や、成人の識字教室(学校に行く機会なく成人した人々の学習の場)を訪れました。印象的だったのは、バマコで孤児院を運営するマリ人マダムの明るさと、モバ村の識字教室です。お母さん達が家族の名前のアルファベットを習う様子を、教室の外から子供達が遠巻きに見ていました。
 このほかバマコでは、尾花理事を通じてご紹介頂いたユネスコクラブ連盟を訪れたほか、前会長Diarra弁護士のつてでマリ滞在中の日本の建設関係者の方たちにお会いし、日本のODAによる小学校建設のお話を伺いました。また追々お伝えできればと思います。
おわりに
 バマコの市場でブーブー(民族衣裳)を購入してまいりました。山田雅子理事のお手元で昨11月にデビューとのこと。お目にとめて頂ければ幸いです。 (原 若葉)

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