「今こそユネスコの出番−国際機関も民間機関も−」

「対話」の重視へ"Change"するとしてきたオバマ大統領の誕生を約1ヶ月後に控えた12月13日に、「今こそユネスコの出番」の熱い期待を込めて、ユネスコ事務局長特別顧問の服部英二氏にご講話をお願いした。合わせて、当ユ協の宮崎彩ユース会員が同氏の力添えでこのたび実現したユネスコ本部でのインターン研修の終了報告をした。

1.インターン研修報告

宮崎会員は8、9月の2ヶ月弱の期間、ユネスコ本部の対外関係政策部NGOセクションでのインターン研修に参加。与えられたNGOパートナーシップ認定関連等の仕事から本部スタッフや他国研修生との交流等まで、この短期間と思えない非常に充実した研修体験をされたようで素晴らしい。 帰国子女である英語力に加えての、誰にでも好かれる人柄と何事にもチャレンジされる積極性によるものであろう。研修内容の詳細については当会報前回号に自ら寄稿されているので、それを参照して下さい。

2.「知的協力」活動への期待

服部英二氏は、1973年から21年間在籍されたユネスコ本部の中で、赴任当初は「貧困国への開発援助」に傾いていた状況に対して、「知的協力こそ本来のユネスコならではの使命である」と主張されて、それに向けて種々の働きかけをしてこられた。


その一つが、1985年のユネスコによる「シルクロード総合調査計画」の起草。その中で、「シルクロードは、砂漠の道・草原の道・海の道を問わず、何よりも文明間の対話の道であった」と、キーワードを「文明間の対話」にしたことに熱烈な共感を得て、その後に6年に渡る大規模なシルクロードプロジェクトが推進されるに至ったとのこと。我々にとっては、そのキャンペーンポスターに平山郁夫画伯の絵が使われたことが、平山画伯に当協会の会長就任をご承諾いただいたことにつながった。


結果的には、このキーワード提示は当プロジェクトにとどまらないインパクトに波及した。1998年にイランのハタミ大統領が、国連での演説で「文明間の対話」の開始を提唱されたことが契機となって、2001年が「文明間の対話国際年」と決められた。皮肉にも同年9月11日にまさにハンチントンの「文明の衝突」が予言の書になったかのような米国同時多発テロが勃発したのであるが、同年11月のユネスコ総会で「文化の多様性に関する世界宣言」が全会一致で採択された。引き続きの条約化の動きに対して、文化的コンテンツが大きな輸出産業になっている米国による強い阻止運動にも拘わらず、2005年10月に圧倒的多数で「文化の多様性に関する国際条約」を採択、その後2年足らずに80カ国で批准されたことで発効となった。


ユネスコ憲章の前文は、第1節の「平和のとりで」に続く第2節で「相互の"Way and Life"、すなわち文化に対する無知がこれまでにしばしば戦争に至る共通の原因になってきた」と述べている。 

それは「文化の多様性」を認め合うことが戦争のない世界をもたらす、と言い換えることができる。

 その点に関して、一月、米国がオバマ大統領に交代すること、並びに今年になってキリスト教とイスラム教の間の宗教対話が始まったことをよく見守りたい。2002年より毎年開催されている「日本イスラム対話」は、今年は3月末にサウジアラビアで開催されたが、そこでご自身を含む日本とイスラム30ヶ国からの代表に対して、アブドゥラ国王がすべての宗教と対話する用意があると宣言され、11月にはバチカンでベネディクト16世教皇が主要イスラム学者を呼び集めて対話集会を持った等。

このきっかけとなった「日本イスラム対話」がほかならぬ日本側から呼びかけて始まったことに注目してほしい。この例のように、G8国の中では唯一、キリスト教国でない我が国は、中立的な立場で両文明間の対話の仲立ちに動ける立場にある。

しかし、どうしても国としての動きは国際政治の力学の中で制限される。今こそ、行動が何にも拘束されない民間ユネスコの出番であり、とりわけ国際センスに富む宮崎彩さんのような人がおられる鎌倉ユネスコに大いに期待したい、と述べてご講話を締めくくられた。 (石田)

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