特別寄稿
ジャスミン革命と「生きる意志」

―チュニジアの詩人シェビの予見したもの

服部英二(哲学者、前UNESCO首席広報官)

2011年初頭、チュニジアに突如起こった市民革命、いわゆるジャスミン革命は、ベン・アリ大統領とその一族が続けてきた強権政治をもろくも崩壊させた。

革命とは、フランス革命がそうであるように、突如、予期しない仕方で起こるものなのだ。それは雪崩現象に似て、いったん起こると巨大な力となる。エジプトの民衆がそれに続き、若者をはじめとした100万の人の波が、その名も「解放」を意味するタハリール広場を埋め尽くした。軍は民に発砲することなく、30年続いたムバラク政権は崩壊した。そしてこの波は北アフリカと中東の国ぐにに瞬く間に広がった。これらの国でツイッタ―とフェイスブックの果たした役割は大きい。しかしもう一つの要因として、このような雪崩的変革が起こるには、およそ人間の心情の中核に響く何ものかがなければならない。

国や社会を大きく変えるものに「言葉」の力がある。私はこの事件の中にそれを感じた。ヨーロッパやチュニジアの新聞に一つの詩が引用されていたからである。この一連の市民革命の発端となったチュニジアの詩人は誰か?サハラ砂漠の町トズ―ルに生まれたシェビ(Abou el Kacem Chebbi,1909-1934)である。この詩人は、実はイスラームの精髄を学び、純粋なアラブ語のみで書いた文学青年であった。その一つの詩が1956年のチュニジア独立の標語となり、彼の肖像がディナール紙幣に使われることとなる。幼少のころから心臓を病み、自然を観察し、命の輝きを自然の中に見出した詩人が、死の1年前にしたためた長詩La Volonte de Vivre「生きる意志」である。


いつの日か 人民が生きんと欲する時は、/宿命もまた それに応えねばならぬ、/闇もまた 消え去らねばならぬ、/鎖もまた 砕かれねばならぬ、
イスラーム法学者の父を持ち、自らもその神学と法学を学んだ青年にして、この冒頭の言葉は驚くべきものである。宿命とは、イスラームにおいてはただアッラーの意志であり、人間が左右するものではないのだ。


支配と抑圧に対する人間の解放の叫びはどこに向けられたものなのか?この100行に及ぶ長詩は、1934年に訪れる彼の死の前年に書かれた。彼は1929年、弱冠20歳にしてサディキという町の文学クラブで「アラブの詩的想像力」と題し2時間に及ぶ講演を行った。「アラブの詩人たちはかつて深い心情を表したことがなかった。彼らは、生きた心情、瞑想を伴った仕方で自然を見つめたことがないからである。自然が崇高なものだと見ていなかったのだ。」と。それは2月、ラマダンの月であった。この講演の成功は彼の名声を高めた。

法学部を卒業し、弁護士となった彼に残されたいのちは3年であった。その3年間、故郷トズ―ルに帰った詩人は、毎日窓から自然の移ろいを見て過ごした。そして死を予感したかのごとく33年、彼の内奥から、詩の洪水が堰を切ったようにわき出す。その中の一つが「生きる意志」だった。
ハイデガーの「死に向かう存在」に対し、人間とは「生に向かう存在(Etre vers la Vie)である」と、1995年、パリのUNESCO本部で行われたシンポジウム「文化の多様性と通底の価値」でオ―ギュスタン・ベルクは証言している。 夭折したシェビの詩はまさしく「いのちへの賛歌」、「自然をうたう歌」である。「生きる意志」の中に自然をめぐる彼の驚くべき直観があらわれたところがある。


――わたしは暗闇に聞いた。/「いのちは、色あせてゆくものに、春の歳月を返してくれるのか?」/夜は沈黙していた。/夜明けのニンフたちも歌うのをやめた。/しかし森は、震える弦のようなやさしい声で、答えてくれた。/冬は来よう、霧の冬、雪の冬、雨の冬、/魔法は消えよう、枝の魔法、花の、果物の魔法も、/澄み渡った、やさしい空の魔法、/香の満ちた牧場のあまやかな魔法も、/木々の枝は葉を落とし、/美しい季節の実も落ちる。/すべては素晴らしい夢のように、消え去ってゆく/ひととき心のうちで輝き、そして消えてゆく夢のように、/だが、種が残るのだ。/種はその中に、消え去った美しいいのちの/宝を秘めている。/いのちは生まれ、/そして解かれる/そしてまたはじまる。


イスラームはヘブライズムの中に位置し、直進する時と終末論を持つ。ところがシェビのこの歌は、いのちの循環を見据えた歌なのだ。そして生きる意志が運命さえもかえる、と。そこには自然そのものに見た永遠の命への希望があった。それはあらゆる束縛を脱し、透明なほど自由で、光に満ちた"言の葉"であった。


そうであるからこそ、この詩人は地中海世界、そして中東に、解放への革新の風を巻き起こしたチュニジア、すなわち重層的文化を持ち教育の進んだこの国で、国民的詩人とされてきたのであり、この詩は市民革命の初日に各地に引用されたのであった。

 
 

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