スポットライト
「パレスチナのユネスコ加盟余波」

ユネスコ総会は10月31日、パレスチナを正式加盟国として承認した(賛成107、棄権52、反対14カ国)。これがいま、オバマ大統領を窮地に追い込み、ユネスコも再び財政危機へと追い込まれ兼ねない状況を招いている。

アメリカは再び脱けるのか
就任以来、国連を通じた国際協調を外交の主軸に、イスラエルとパレスチナ和平交渉の仲介役も担ってきたオバマ大統領に対し、パレスチナのユネスコ加盟阻止に失敗したとするイスラエル擁護派の非難が集中している。米下院では「パレスチナの地位を向上させようとする国際機関への分担金拠出を停止する、より厳格な法律導入を主張する動きが起こっている」とも報じられている。(2011.11.2.朝日新聞朝刊)。
年間62億円にのぼる拠出金を米国が凍結すれば、ユネスコは米国脱退時代(1984〜2002)に負った困難に再び直面する。加えて凍結が2年続けば、米国は加盟国の資格を失う。松浦晃一郎ユネスコ前事務局長たちによる米復帰実現の尽力も無に帰す事態ともなる。
もっとも米国の分担金一時凍結は今に始まったことではない。
1970年代にユネスコが「イスラエル非難決議」を採択したときも起きている。

ノーベル平和賞 受賞者の受難
1994年のノーベル平和賞はパレスチナのアラファト議長とイスラエルのラビン首相らが仲よく受賞した。前年の「中東恒久和平への道=オスロ合意」への両国トップの功績が認められての受賞であった。ただし翌95年、ラビン首相はテルアビブでの平和集会席上で、和平反対派のユダヤ人青年によって銃殺され、世界中がその死を悼み悲しんだ。
オバマ大統領も2009年にノーベル平和賞を受賞している。今回のパレスチナのユネスコ加盟に棄権の立場を選んだ日本を含め関係各国の協力で事態が打開されることを期待してやまない。

平山画伯の大きな夢
思い出す事がある。生前の平山郁夫ユネスコ親善大使がひそかに温めておられた大きな構想である。
それは、イスラエルとパレスチナの国境をまたぐ地帯に「平和のための大学」建設の夢だった。その大学には両国側にそれぞれ入口があり、中に入れば他の多くの国からの学生に混じって両国の学生も共に学び研究にいそしめる場を作ろうというものであった。「日本の経済界にも賛同者は居られます。異なった文化が交流し、スパークしたとき、大きな花が咲くのです」と、熱く語っておられた。

国連の良心 ユネスコ
創立以来、「国連の良心――Conscience of the U.N.」と言われ続けてきたユネスコは、2001年に「文化の多様性宣言」を採択し、文化間の対話を促進している。
同宣言にしても、いま注目を集めているESD(持続可能な発展を視野にした教育)にしても、総論賛成・各論無関心は許されまい。ユネスコ憲章前文は明記している。真に永続する平和実現のためには政府だけではなく、市民の知的・道義的連帯が不可欠なのだ、と。いま、私たちは問われている。
最後にもう一つ思い出した。鎌倉ユネスコ協会は創立翌年1989年、初めてのバザー収益金を国連パレスチナ難民キャンプで学ぶ子どもたちのために寄託したことを。
(尾花珠樹)

 
 

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