スポットライト
「ユネスコ語録-世界平和への提言」を読み直す

ユネスコ活動のあり方が改めて問われている今、発足時のUNESCOに対する“平和の文化”の役割の期待を収録した「ユネスコ語録―世界平和への提言」(日本ユネスコ協会連盟民間ユネスコ運動25周年記念出版,1972年発行)を読み直してみる。

UNESCO設立会議(1945年11月)
最初は当時の英国首相C.R.アトリーによる当会議冒頭の『歓迎の辞』。UNESCO憲章前文の“戦争は人の心の中に生まれるものであるから、心の中に平和のとりでを築かなければならない”の原典であり、無知、偏見および誤解という暴力に対する共通の戦線を築こう、という意味で呼びかけられたことを知る。続けての当会議に出席した各国代表の『演説抜すい』は、“人種の原理は、思想、文化及び文明の共同体の原理で打ち破ることができる”(フィリピン)、“平和の必須条件は、相互の理解、愛および尊重である”(ユーゴスラヴィア)など、遂にUNESCOが発足することへの熱い期待に溢れていた。

発足時UNESCO事務局長の思い
初代事務局長J.ハックスレーの『UNESCOの目的と哲学』及び『世界各国民の自己探求』は、人間としての尊厳の尊重と社会の調和にUNESCOの使命があるとして、その目標に向けて各国に絶えざる自己探求を求めた。第二代H.T.ボデーの『戦争との戦い』及び『軍服をつけぬ人々の要塞』は、“結局は人間の不寛容な心との戦いである”、“ UNESCOは相互理解による共存の理由を知ろうと望む軍服をつけぬ人々の要塞である”と述べ、討論と美辞に終わることを戒めた。

代表的社会学者による共同声明
ハーバード大学心理学教授G.W.オルボルト他の『8人の社会学者による共同声明』(1948年7月)は、国家間の抗争は、“人間性”そのものの不可避的結果でなく、経済的な不平等や失望、 世代から世代へ継承される国家的自負の伝統や象徴に基づく国家主義的自己正義感などに原因があり、そのため国際的規模で社会科学者が協力することによる社会組織の抜本的な改革、並びに青少年時からの教育を通しての我々のものの考え方自体の変革が肝要である、と提案した。

日本におけるUNESCOへの期待
それからわずか5ヵ月後、日本のUNESCO加盟のまだ3年半前に、安倍能成、大内兵衛、仁科芳雄など著名な社会学者・自然科学者55人がそろって署名して、この共同声明に強い賛意を表したのが『平和問題に関する日本の科学者の声明』。その他に、森戸辰男『独立と平和主義』、横田喜三郎『ユネスコ活動のあり方』など、当時の日本の知識層にUNESCOへの期待がいかに大きかったかがわかる。

究極としての世界連邦を目指して
最後に、本書のいくつかの筆者が言及している世界連邦への期待(谷川徹三、鮎沢 巌など)を取り上げる。ルーツはカントが1795年に著書「永遠平和のために」で提唱したが、長らく単なる“理想”であると扱われてきた“自由な諸国家の連合制度”の構想である。それが最近になって、柄谷行人の「世界共和国へ」(岩波新書,2006年)、「世界史の構造」(岩波書店,2011年)で、人類がいま緊急に解決せねばならない課題、1.戦争、2.環境破壊、3.経済的格差を、国家と資本の統御により解決する切り札として再評価されている。その条件は“各国が軍事的主権を国際連合に譲渡すること”。もとよりそれへの道のりは遠く険しいが、私たちの日々のユネスコ活動がその歩み出しにつながるものでありたい。
(石田喬也)

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