3.11苦難と悲しみを超え
記され語られた言葉をあつめて

2011年3月11日、岩手県大船渡市、時計の針はその瞬間でとまっています。あれから1年数カ月。地震、津波、原発事故を巡って、たくさんの書物が発行されました。以下は編集部に届いた3冊の紹介。お求めいただいて誌面では伝えきれない言葉たちの重さを受けとめていただければと願って。語りつぐ津波防災

津波はいつかまた来る

三陸海岸にはたくさんのユネスコ協会がある。そのひとつ陸中海岸国立公園に位置する大船渡ユネスコ協会が、このほど『津波はいつかまた来る〜その日のために』を刊行(写真右)。編集にとりくんだのは同協会7人の会員たち。会長の佐々木仁編集長は「この本は小・中学生が理解できる内容で書くことを目標にした」と語っている。むずかしい漢字にはルビをふり、20ページを被災前と後のカラー写真にページを割いた。
「助かった人たち」の章では小・中学生も執筆。70歳の祖父と中2・小5の2人の孫による「津波について」の対談も、過去に三陸を襲った津波の歴史や地震発生メカニズムを判りやすく語り合っている。5日間、安否を把握できなかった生徒全員無事を確認できたときの校長先生たちの安堵も胸を打つ。津波防災教育実践が生かされた証だった。
湾口防波堤も防潮堤も、ことごとく破壊・流失し、市内3700戸が全壊、会員40%が罹災した困難の中で、次の世代にむけて、こんなにも内容の濃い書の刊行にこぎつけた関係者の熱意に圧倒される。編者たちは、あえて死者の数には触れていない。
A4判、100ページ。連絡先пF0192-27-3111(内線275)大船渡ユ協。

 

いちりんの花
いちりんの花

文・平山弥生 画・平山美知子
小さな天体・地球をテーマに叙事詩のような物語を平山弥生さんが『いちりんの花』を脱稿したのは3・11のその日。
その1ページごとに母・美知子さんが版画を添えた。平山郁夫画伯の遺書にあった「私が死んだら、また絵を描いてほしい」に導かれて美知子夫人は30年ぶりに絵筆をとった。母娘のレクイエムの結晶。希望と再生、すべてはいちりんの花から始まる。
講談社刊、B5判32頁、1300円

 

 

「東日本大震災をどう受け止めたか」

「3.11以後、日本再生への道」
早稲田大学の教職員、院生、学部生や関係ボランティアの寄稿で上梓された『東日本大震災をどう受け止めたか』。副題に「3.11以後、日本再生への道」とあるように、このブックレットは「震災後の社会の方向性を一人ひとりが持続的に考え、再構築していく上でも、震災の記憶をリアルな形で残しておく」ことを目的に編まれた。
全7章60編の論文・レポートから成る。当時滞米中だった花光里香准教授は「サステナビリティ(持続可能性)をもたらすのは技術の進歩ではなく、人びとの意識」と。
平山廉教授は原発抜きの電力需要も節電で「やればできたじゃないか」と述べ、自然災害よりも遥かに深刻な被害や遺恨をもたらすリスクは異民族・異文化間の紛争、と指摘。文化の多様性を認め合う大切さを説く。
被災地視察に入った小木曽駿「鎌倉てらこや」事務局長(修士課程)は、同行した建長寺の高井正俊宗務総長の「復興支援というか、お互い様なんだよな」のつぶやきが胸に残ったと。
編著者の一人、池田雅之早大国際言語文化研究所長は「鎌倉てらこや」理事長でもある。
B5判、162頁。連絡先п彦ax03-5286-1423,池田教授研究室。

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