ユネスコ本部(パリ)のホームページから日本語に翻訳して転載いたします。

行動主義の新しい精神を推し進めるユネスコ
 
バリー ジェイムズ記者 (インターナショナル ヘラルド トリビューン)2001年4月11日
 
知識の普及と多様性の維持を目指す改革された機関 (パリ発)
 
かつて米国を含む多くの国に教条主義で無能だと攻撃された国際連合教育科学文化機関は今や多くの国際的な倫理問題、社会問題に重要な役割を果たしている。
 
松浦晃一郎事務局長はこの情況と彼が実行した広範なユネスコ運営改革によって米国政府が17年前抗議脱退したユネスコに復帰するよう促したいと考えている。
 
二人の米下院議員(カリフォルニア州選出トム・ラントス民主党議員、アイオワ州選出ジム・リーチ共和党議員)が超党派の再加盟議会運動の先頭にたっている。
 
ラントス氏のスポークスマンによると再加盟は「今や明らかにアメリカの利益になる」とのこと、何故なら米政府は識字、文化保護、科学教育などをテーマとするユネスコのいくつかの事業に任意の資金提供を行っているにもかかわらず、ユネスコの運営に直接の発言権がないからだと云う。
 
1999年にオルブライト前国務長官はユネスコを「我々もその価値観を共有し、その事業を奨励し、そこに再び加わることも有り得る機関」と呼んだ。しかしこれが実現するか否かはブッシュ政権が行っている国連組織と米国との関係の見直しにかかっている。
 
WHO(世界保健機関)FAO(食糧農業機関)など他の国連機関は特定の科学的問題を取り扱っているが、ユネスコは科学技術の急速な進歩、またグローバル化の進展によって引き起こされるもっと把握しにくい倫理的、道徳的問題に取り組んでいる。
 
ユネスコは知識というものが世界の何処でも得られるようにする方策、文化の多様性を維持する方策を模索している。例えばヒトゲノムに関する発見の所有権を主張するために特許法や著作権を使おうとする試みを阻止しようと戦ってきた。エイズとの戦いにも関わり、教育がエイズを食い止める最も効果的な方法の一つであると強く主張している。
 
科学部門を通じてユネスコは真水の充分な供給の確保、海洋資源の地図作成の企画調整を行っている。またヒトゲノムの実験に限界を設けることによって、人間の尊厳を維持しようとしている。 人間を対象とした生殖目的のクローン技術を禁ずるユネスコ協定は188カ国が署名した。
 
「我々はグローバル化の過程を人間的なものにしなければならない。グローバル化は急速に進展しており、特に財政、経済問題において顕著である。しかしその恩恵を受けるのはほんの一部の人たちであって、ユネスコはグローバル化の恩恵に大して与らない人々に対処していかなければならない」と松浦氏はインタビューで語った。
 
そのため彼は先ず第一にあらゆる子供が基礎教育を受けられるようにすること、そして成人教育の機会を増やすことを目指すつもりである。
 
世界の人口の約4パーセントしかインターネットに繋がれていない現状では各家庭に一台のコンピューターを備えることは遠い夢であると松浦氏は認めている。 然しながら出来る限り多くの人々にIT(情報技術)の恩恵をもたらすよう地域ごとにコンピューターセンターを設け、いわゆる「情報強者」と「情報弱者」の間にある壁を壊したいというのがユネスコの考えであるとスポークスマンは語った。
 
1999年、当時駐仏日本大使であった松浦氏が日本政府の強力な支援の下に選出された時、多分に未知数の人物であった。その後この温厚な官吏はユネスコで徹底的な改革を断行し、人々を喜ばせ、また衝撃も与えた。
 
彼の前任者、スペインの科学者フェデリコ・マイヨール氏が昇進や任命を行った大勢の高級官吏が職を辞すこととなった。松浦氏は就任当時のほぼ200という局長数を約50にまで減らしつつある。
 
国連組織以外から300人以上の志願者が集まった、幾つかのポストをめぐる国際的な争いを経て、意外な人々が松浦氏の直属となる事務局長代理の地位につくことになった。
 
その中には英国のオープン・ユニバーシティ総長のジョン・ダニエル卿、国際アムネスティ事務局長のピエール・サネ氏がいる。 サネ氏の仕事はエイズとか民族や宗教間の緊張状態といった人間及び社会の問題に科学的に取り組むことになろう。
 
ジョン・ダニエル卿は放送通信大学教育の草分けであるが、2015年までには世界中の全ての子供がきちんとした基礎教育が受けられるようにするというユネスコの約束を実行に移す責任を担うことになるだろう。今日学校教育を受けていない人が少なくとも1億1千300万人、ほんの基礎的な初等教育しか受けていない人が無数にいるという事実を考えると、これは大変な仕事である。ユネスコは世界で9億というの非識字者の人たちの多くに読み書きを教えることを含め、生涯教育を促進することも約束している。
 
ジョン・ダニエル卿はオープン・ユニバーシティの学生数が海外在住学生多数を含め二倍の20万人に増えた時の学長だが、こういった難題にいかに取り組むつもりであるかは語っていない。
 
パリのソルボンヌで学んだカナダ人である彼は第三世界の開発に関するオープン・ユニバーシティの講座を行うことによって彼の仕事の準備をしている。
 
教育が開発の最も重要な要素であることは明瞭であると彼はインタビューで語った。
 
「乳幼児死亡率、人口増加、或いは住民の健康についての論議は、女の子たちに初等教育を与えれば他のどんな方法にも見られないような劇的な効果があるという事実に戻ってくるように思う」とジョン卿は言った。
 
松浦氏はもう一人の著名な通信教育の専門家、印度のインディラ・ガンディ・オープン・ユニバーシティの学長であるアブドゥール・ワヒード・カーン氏を情報通信担当の事務局長代理に任命した。
 
1980年代初頭ムボウ事務局長の下、ユネスコがそのイデオロギー的偏向と無能な機関であるという世評で論争の渦中にあった時と比べ、ユネスコのこの行動主義の新しい精神は著しい相違を見せている。
 
当時のユネスコは親ソで、ひどい運営がされているとの認識が行き渡っていたことは松浦氏も認めるところである。
 
ムボウ氏が「新世界情報秩序」を導入しようとしたのを機に米国は1984年ユネスコから脱退した。この「秩序」は政府によるジャーナリスト認可制度を導入することによって報道機関の言論の自由を妨げる試みであると見る国々があったのである。英国も脱退したが、1997年再加盟した。シンガポールも脱退し、まだ復帰をしていない。
 
然しながら、米国がユネスコのプログラムの幾つかに寄付金を出しているにもかかわらず、米政府の離脱によってユネスコは予算の約四分の一を失うこととなった。
 
現在の国連分担基準によると、今年度予算約2億7千2百万ドル、本部職員2千人のユネスコに完全復帰をした場合、米国は六千八百万ドルの年会費を支払うこととなるであろう。
 
マイヨール氏の主な功績はユネスコが情報活動の自由に反対しているという認識を覆したことである。事実、彼のお陰でユネスコは報道の自由の有力な擁護者となった。しかし大勢の外部コンサルタントを雇うなど彼の運営方法が職員の意気を沮喪し動機を失わせたとの批判もあり、ユネスコの内部運営を立て直すことが松浦氏の仕事の最優先事項となったのである。
 
松浦氏は文化の多様性を維持するために、歌、踊り、演劇など世界の無形の宝を急激なグローバル化から救いたいとしている。事務総長就任以前彼はベニスやガラパゴス諸島など多様な文化遺産を後世に伝えるためのユネスコ世界遺産プログラムを率いてきた。
 
現在ユネスコは、危機に立たされている文化活動の専門家たちが彼らの仕事を続けその技能を若者たちに伝えていくことを可能にするようなプログラムの準備を進めている。
 
    (目黒ユネスコ協会 宮本美智子訳)