ショートニュース187−2


ヴェトナム「人作りプロジェクト」の再訪問  2002.4.14-20
 

目黒ユネスコ協会顧問 田島 重雄

 日本ユネスコ協会連盟の依頼を受け、4月14日から1週間,ヴェトナム寺子屋プロジェクトの発展状況を見てきました。今回は2度目ですから,もうデイエン・ビェン・フーからの4時間の長旅も、“九十九折り”の険しい道も気になりません。 懐かしさが感じられる位です。昨年3月には、この山村には「養蜂」が“最適”と結論して帰ったのですから,それが現地でいかに受け入れられているか早く見たくて仕方がありませんでした。
 目標とする第1の養蜂農家は、サン・ニエ村の中心地、道路から300米ほど入った所にありました。ここでは、プロジェクトの研修で学んだ新しい養蜂方法を取り入れ,巣箱も2箱から10箱に増やし、1箱当たり蜂蜜の収量も2倍になりそうだという話、しかも近隣の養蜂農家が毎月28日に定期集会を開き、経験や問題を話し合っているとのことでした。万事が指導通りに進んでいて、やれやれ、これでひと安心ということになりました。
 
 そこで今度は、同じサン・ニエ村でも、少し離れたシン・スウ第2部落にある養蜂農家を訪ねました。ここでは、まだ幼さの残っている少年が案内に出てきました。 次にきっと父親が出てくると思っていたのですがさっぱり出てきません。仕方なくこの子に養蜂のことを訊くと、スラスラと答えるのでビックリしました。年齢を訊くと13歳というので2度ビックリです。しかもその年齢で、家を代表して「識字の研修」にも「養蜂研修」にも参加していましたし、単に学んだことをそのまま実施しているのでなく、旧式の巣箱を活用し、新式の内部装置を取付けるという独自の工夫さえしていました。このように子供っぽい少年でも、11人という大家族の生活と将来を担い、現場での知恵も行動力も並々でないということが分かり、一同素晴らしい将来の地域リーダーを発見した思いでした。

  次に少し離れたタイ族のシー・ピンという部落を訪れました。前回訪れた時は、丁度主婦・女子青年40人程が集まって農業研修を受けているところでしたので、その成果が見られるのではないかと楽しみでした。17才の女子青年は、ミミズを繁殖させ、鶏、家鴨、ウナギなどの蛋白飼料にしていました。ある年配の主婦は、椎茸の人工栽培を始めたといって椎茸のニョキニョキと生え出した鋸屑製の(菌床ほだ木)を誇らしげに見せてくれました。もう一人の主婦は養鶏を始めたと、その鶏舎まで案内して説明してくれました。
 ヴェトナムは、まだ貧しい国です。GNP一人当たり所得は、日本の数十分の一に過ぎません。しかし、一人一人の国民が、少しでも経営や生活を発展させようと,努力していることをひしひしと感じます。日本の青少年は、豊かさに浸かって只今「昼寝中」と言っては云い過ぎでしょうか?「昼寝する兎」は「足の遅い亀」にも追い越されます。現にIT分野では、シンガポール,香港、韓国に追い越されました。世界の国々や自国の社会が大きな課題を抱えていても、自分には関係ないと考えたり、見て見ぬフリをしてはいないでしょうか? 私はヴェトナムに行くたびに、考えさせられ、励まされて帰ってくるのです。
 写真:左上・モン族養蜂農家で(左、田島顧問)
 右・将来を担うこども達  左下・タイ族女性の農業研修 
 


187-3へ