食後はトゥーホという輪投げに似た韓国独自の投げ遊びをしたが、結構難しくてなかなか入らず、景品は末等のあめ玉しかもらえなかった。 夕方はソウル一番の繁華街で、若者が多く集まる明洞(ミョンドン)へ行った。ブティック、シューズショップ、アクセサリーショップ、化粧品店まで、ファッションに関わるあらゆる店が集まっている。CDショップから聞きなれた局がながれてくる。あれは日本の人気ボーカルコンビのケミストリー。日本りCDが韓国で販売されるようになったのはようやく去年からだ。店のお兄さんも日本語で話しかけてくるし、まるで日本にいるようだ。外に出ると私たちは人通りの中に完全にとけ込んでしまい、いろんなお店に入りながら、ウインドーショッピングを楽しんだ。
夕食は、韓国料理で有名な参鶏湯(サムゲタン)という鳥鍋料理を食べた。お粥のようなスープで、様々な材料が入っており、味のハーモニーが何ともいえない旨味を引き出し、スープは鶏のダシがよく出ているのに脂っこくなく、さっぱりして美味しかった。夜は南山の上にあるソウルタワーに行き、カップルばっかりの中に混じって、アイスを食べながら宝石箱のような大都会の夜景を楽しんだ。
最終日の3日目は、朝起きてトイレの順番待ちで冷や汗をかいたけど、朝食の後、ミギョンさんが所属している聖歌隊の人たちと会い、ミギョンさんの通訳で楽しくお話できた。一人の男性は昔、大学で日本語を専攻していたようで、「私は日本が大好きです。」などと日本語で話しかけてくれ、家族以外の人たちと交流できてとても良かった。 お昼に韓国では絶対食べたかったキムチチヂミを食べ、これで一応、韓国料理の代表的なものは網羅することが出来た。その後、ミギョンさんに丁重にお礼を言って別れを告げ、ガイドさんに見送られて飛行機に乗り、無事、大阪に帰ることが出来た。 短い2泊3日の韓国旅行だったけど、その中で韓国の家庭の雰囲気を味わい、韓国料理に舌鼓を打ち、名所や世界遺産を見学し、多くの人と交流できた。そして何より初めての一人旅、しかも外国への旅を経験して、自分がまた一回り大きくなれた気がする。又、こうしたふれあいの旅こそ日韓交流においてとても大切だと思う。最後に、このような貴重な機会を提供してくださった大阪ユネスコ協会、アシアナ航空、日通旅行に心から感謝したい。
そんな時に、テレビで中国のサッカーサポーターたちが持つ反日感情を見て、日本の伝統文化である太鼓を演奏しても歓迎されないのではないかと、不安に感じました。このように日本が拒絶されるのは、やはり歴史に大きな関係があります。
今回私たちが韓国に行くことによって、日韓の友好関係を改善するきっかけを作りたいと考えました。これを成功させるために顧問の先生と相談し、二つのことに挑戦することに決めました。
一つは、スピーチを韓国語ですること、二つ目は光州地方の民謡である「珍島アリラン」を演奏するということです。現地の言葉で話し、現地の曲を演奏することで、友好や互いの文化を尊重したいという気持ちを伝えたかったのです。不安を感じながらステージに立ち、「ヨロブン、アンニョンハシムニカ」と呼びかけると、会場から大きな拍手と歓声が起こり、今までの不安が一気に消え去りました。
演奏後には、日本語を強制されたという女性が、日本に対する思いが変わったと、部員の手を握り話してくださるという場面もありました。私はその話を聞いて、彼女の心のしこりを溶かすことが出来た喜びを感じながらも、なお複雑な気持ちでした。この年代の方々はみんな、昔、日本の侵略によって辛い思いをされたと聞いて、胸が苦しくなりました。だけど、そんな経験をされた方々が、私たちを受け入れてくれたことは、これから新しい関係を築くことが可能だという確信を持つことができました。何度も韓国語でスピーチをし、「珍島アリラン」を演奏するうちに韓国のサムルノリのチームが飛び出して来て応援してくれたり、仲良くなったスタッフの方々が先頭に立って踊ってくださったおかげで、会場全体が一緒に歌ったり踊ったり、抱き合ったりして一つになり、大きな感動の輪が広がりました。私たちの一方的な力では、この一体感は生まれなかったと思います。私たちの演奏や思いに韓国の人が応えてくれたからこそ、心からの感動に繋がったのです。
この二回の外国での感動的な経験を経て、私は以前からなりたいと思っていた教師への道に進むことを決意しました。これからの日本をつくり上げていく子どもたちと真の平和について考え、一緒に平和の輪を広げていきたいと考えています。
4月22日、うまれて初めて一人きりで飛行機に乗り、関西空港からソウルへ飛び立った。機内ではこれから始まるホームステイの旅に期待と不安が交錯する複雑な気持ちだった。ソウルの空港で私の名前を書いた紙を掲げているガイドさんを見つけたとき、心底ホッとした。空港から20分ぐらいのところにあるロッテホテルの免税店で少しショッピングをしながら、ホームステイ先のお母さんのミギョンさんを待つことになった。ミギョンさんは私たちを見つけると笑顔でそばにやって来て、「アンニョンハセヨ!美樹さん、ようこそいらっしゃいました。」と日本語で挨拶してくださった。私も事前に勉強した韓国語で「アンニョンハシムニカ!」と挨拶を返した。
これから滞在するミギョンさんの家はソウル市内にあり、そこへ向かう途中の市内の風景は大都会そのものだった。8車線もの広い道路が走り、いたる所に大型スクリーンの街頭テレビもあって、見た限りでは大阪よりも大都会という感じを受けた。
私がホームステイした家庭はお父さんとお母さん、セインちゃん(11)とドンホン君(8)の4人家族だった。
何度も日本からの訪問客を受け入れているらしく、みんな挨拶程度の日本語を話していた。私は子どもたちに日本から持ってきたお菓子のおみやげを贈り、一緒に遊んで仲良しになった。お父さんは韓流スターのチャン・ドンゴン似で、ハンサムな人だった。ご夫婦の結婚式の写真を見せてもらったが、芸能人が撮るような凝った記念写真でビックリした。結婚の記念を大切にしていて、羨ましく思った。
晩御飯は日本でも人気のプルコギだった。さすが本場で、唐辛子がきいていてあまりの辛さで汗が出た。そしてもちろんキムチも。台所にあるキムチ専用の冷蔵庫も興味を引いた。
2日目はミギョンさんとソウル市内の観光に出かけた。午前中は、1997年にユネスコの世界文化遺産に登録された昌徳宮(チャンドックン)へ行った。昌徳宮は1405
年に正宮である景福宮の離宮として建てられた。しかし1592 年、豊臣秀吉の文祿・慶長の役ですべての宮殿が焼失した後、景福宮を再建するまで約270年間正宮の役割を果たした。美しい建物と秘苑(ビウォン)という庭で知られている名所だそうで、きれいなところだった。もみじや松などが多く植えられており、日本にいるかのような錯覚になった。
午後は仁寺洞(インサードン)という民芸品をたくさん売っているスポットへ行った。町並み自体が文化財になってており、茶店、工芸品店、骨董品店と画廊などが並び、生きた博物館とも言われ、韓国の文化にどっぷりと浸れる場所だった。お昼には冷麺を食べたが、日本の冷麺と違って甘酸っぱく、麺は黒く細くて短いものだった。