大阪ユネスコ協会 役員    2011/6 現在


会長     中馬 弘毅    前衆議院議員

副会長    山幡 一雄    元大阪市経済局長
        山田  忍     関西ピアノ専門音楽学校校長
        吉本 祥生    兵庫中央病院名誉院長      

理事     中西 正人    大阪府教育委員会教育長
        永井 哲郎     大阪市教育委員会教育長
        渡部 雅隆    朝日新聞大阪本社編集局長
        竹中 史郎    大阪ガス(株)執行役員 総務部長
        藤澤 誠一    (財)大阪城ホール理事長
        堂元  光      日本放送協会大阪放送局長
        末岡 祥弘     大阪YMCA総主事
        大川  均     大阪ユネスコ協会日本語教育研究委員
        楠見 晴重(新) 関西大学学長 
        森   一貫    関西外国語大学教授
        林田 雅至    大阪大学教授   
        辻  祥光(新) アクトレップ(株)代表取締役社長    

常任理事  武田 暢樹    大阪ユネスコ協会事務局長

監事     金村 義夫    大阪司法書士会監事

顧問     平松 邦夫   大阪市長
        金森 順次郎  山田科学振興財団理事長
        橋本  守    日本国際連合協会関西本部長

      河田 悌一(新) 日本私学学校振興共催事業団理事長 

    
最初から日本語は通じないと決めつけ、相手のことを知ろうとしなかった自分の態度や、韓国語を全く知らない自分、こんなに近くの国の言語なのに少しも話すことや理解することができない自分が、恥ずかしくなったのです。  更にその方は私に、「韓国人の多くは反日感情を持っているが、第二言語として日本語を学ぶ学生はたくさんいる」ということも話してくれました。
  熱心に話を膨らませ、知りたいことを突き詰めようとするその姿勢に私は、韓国はこれからも発展し続けるだろうと思いました。
  日本の学生の大半、少なくとも私の周りや私自身には、そこまで熱心に物事を捉える姿勢はありませんでした。何事にも一生懸命で、実直。私が実際に触れた ”韓国人”はそんな方々でした。それが時に、特に感情を表に出すことをよしとしない日本人には、「激しい、荒い」風に見えてしまうのかも知れません。ですがそれはあくまで ”日本人”として ”韓国人”を見た感想に過ぎず、実際の ”人間”対 ”人間”の交流を持たずに勝手なイメージを抱くのは、あまりに身勝手で危険なこと(=エスノセントリズム)なのです。
   私はこの交流を通し、実際に触れることの必要性を痛感しました。当事者にならなければ、知りたいことの半分も知ることはできないのだと学びました。また、後の学習から、日本の更なる発展は近隣諸国との協力、中でも韓国との相互協力にあると感じています。歴史的背景を考慮すると、日本と韓国が完全に理解し合い、協力することは簡単ではないかもしれません。領土問題等、歩み寄らなければいけない部分はお互いにたくさんあると思います。
  ですが世界に目を向けると、ヨーロッパ諸国は様々な背景を踏まえながらも、EUという一つの集団として一定の成果を収めています。ヨーロッパとアジアでは文化や考え方に違いがあるので、完全にこれに習うべきだとは思いませんが、見習うべき部分もあると思います。実際に今年の六月には日韓の首脳が、EPA(経済連携協定)とFTA(自由貿易協定)の締結に前向きであることを確認し合いました。経済面の協力で得られる利益は比較的目に見えやすいので、両協定を締結し両国がさらに進んだ協力関係を築く可能性は高いと思います。また、スポーツや音楽、芸能など文化面での両国の交流が、近年より一層盛んになったのは言うまでもありません。
  韓国での学校交流から約一年、私はどんなことにも積極的に取り組むようにしています。勝手な固定概念を突き破り、実際に見、感じ、触れることによって得た知識こそが、国際理解に必要なものだと、私は考えています。
  バスを降りて十秒もしない間に、私達はたくさんの韓国人に囲まれていました。
「どこから来たの?」 「ホテルはどこ?」 「ソウルにはもう行った?」。 誰に向けられているわけでもない無数の質問と、異様に感じるほどの歓声。修学旅行先の韓国で、学校交流のために訪れたある高校のあまりに熱狂的な出迎えに、私は思わず、「韓国人はやっぱり強烈だ」と感じてしまいました。
  《エスノセントリズム》 日本語では自民族中心主義、自分化中心主義と言われるこの考え方は、自分の育った集団や民族の文化のみを正しいもの、基準となるものとし、他の文化を否定的に捉えたり、見下したりするような態度や思想のことです。 私は総合学習の授業で初めてこの言葉を知りました。
  言葉の定義だけを見ればとても硬派な印象を受け、まさか自分がそのような考えを持っているとは思えません。私は日本と異なる文化にとても興味があるし、他の文化を柔軟に受け入れる自信もありました。しかし、修学旅行で韓国の高校を訪れた時の私は明らかに、自文化中心で、韓国という国やそこに生きる人々に対して否定的な考えを持っていたのです。
 私は日本に生まれ、日本で育ちました。両親も祖父母も親戚も、知っている限りでは全員が日本人です。多くの日本人がそうであるように私も、日本の本やテレビで知識を得て、日本の新聞やニュースで世界情勢を知ります。その中で、何に書いていたわけでもなく、誰に言われたわけでもないのに、いつの間にか私は、「韓国人は気性が激しく、強烈だ」というイメージを持っていたのです。これはとても恐ろしいことです。
  幸い私には、その考えを改めるチャンスがありました。修学旅行での学校交流がまさにそれです。 体育館に案内された私達は一対一で韓国の高校生と席に着き、自己紹介をし合いました。その間も質問の嵐は止むことがなく、数分間を過ごしただけで正直私は疲弊しました。
 恐らくその時の私は、とても失礼なことですが、初対面の相手にも疲れて見えたのでしょう。しばらく黙っていた相手の方が、「つかれていますか」と日本語で聞いたのです。今まで拙いながらも互いに英語で会話をしていたので、私は驚いて何も答えることができませんでした。
  するとその方は、「自分は日本語を勉強していて、日本にとても興味がある。日本語には自信があるが、あなたが英語を話すから、自分も英語で話していた。」という旨を流暢な日本語で説明してくれました。途端に私は自分が恥ずかしくなりました。日本語がわかる相手に必死に英語を話していたことではなく、
その他 2011
  平成22年度  『 国際理解・国際協力のための高校生の
スピーチコンテスト 』 最優秀作品
 
平成23年
1月22日に実施
(主催大阪ユネスコ協会、大阪府教育委員会)

 「韓 国 で の 学 校 交 流」  
   
大阪府立泉北高等学校 3年3組  楪 (ユス゛リ) 紗幸さん
 これはまさに、国連の目指した究極の理念、ユネスコ運動の原点とも言うべき、地球人類は一体であり、互いに助け合いながら、世界平和を目指すことが、具体的な形で示されたと言えましょう。 これらの好意や善意につつまれ、東日本被災地の方々の底力によって、いずれ復興されることを信じて疑いません。 というものも、第二次世界大戦後の大阪など大都市は、ほとんど瓦礫の山と化しました。またジェーン台風のあとの大阪湾岸、阪神淡路大震災のあとも、同様の様相を呈しましたが、2〜3年で復興の槌音が響いて、数年で以前より立派な街並みに生まれ変わりました。しかし同時に被災した福島原子力発電所の問題は深刻です。科学技術の普及発展もユネスコ運動の目的ではありますが、原子力エネルギーは同時に人体に悪影響を及ぼす放射能を放出するものであり、耐用年数がきて廃炉にするにしてもその放射能廃棄物の処理方法も確立していません。 これまで多くの先進国は高度工業社会で必要とされるたい大量の電力エネルギー源として原子力発電所を建設してきましたが、今回の福島原発事故を契機としてその反省が生じはじめています。通常の自然界では起こりえない事象を人為的に人為的に行なわしめる「核分裂エネルギー」や「遺伝子の組換え」などは、大自然の摂理に反する行為であり、余程慎重でなければならないと思います。風や太陽熱でもさることながら、これからは未利用の深海ハイドロメタンや潮流、地中マグマなどのエネルギーを取り出す技術開発が、地球人類の大きな課題だと考える次第です。 
 東日本大震災に思う           平成23年7月
                     
大阪ユネスコ協会 会長 中馬 弘毅


今年の3月11日、マグニチュード9.0という巨大地震が太平洋日本海深海底で発生、その津波が東日本太平洋岸を襲い、死者・行方不明者合わせて2万数千人の犠牲者を出し多くの家屋、工場、港湾を瓦礫の山と化してしまいました。
 これに対し、世界各国から救援物資や義援金が届けられ、また救援部隊やボランティアの人々も数多く駆けつけてくれました。