二つの町を訪れた私が気づいたことは、人々の生きる姿でした。生き様とでも言うのでしょうか。貧しい人は貧しい人として、恵まれた人は恵まれた人としてどんな生き方をしているのか。フィリピンではたとえ貧しくても家族が協力して生きています。けれども、釜ケ崎ではほとんどの人がひとりぼっちでした。孤独に懸命に生きているように見えました。この違いは、お国柄や宗教の問題など様々な事柄が関係していると思います。だだひとつ、言えることは、フィリピンには「家族愛の精神」があるということです。
私が暮らしたフィリピンの家庭は本当に暖かく、いつも笑いが耐えませんでした。親戚同士の交流もとても盛んでした。
しかし、日本ではどうでしょうか。親戚どころか、一家の団らんさえも薄れているような気がします。私自身でさえ、ひとりで部屋にこもっていることが多いのですから。両国共に似たような境遇にある彼らの違いは、フィリピンと日本の家族の在り方そのもののように思えました。
最後になりますが、外国とほんの少し交流を持っただけの私ですが、日本の良さを改めて実感することができました。きれいな町。整備された道路。当り前のように全ての家庭で清潔な水が使え、電気が通っている。日本にいてはけっして気付かなかったことだと思います。英語や他の言語に興味が持てたことはもちろんですが、逆に私は、日本のことをもっと勉強したいと考えるようにもなりました。特に、「歴史」と「社会問題」です。
国によって、立場によって、物の見方、考え方は様々です。私の場合は、フィリピンと釜ケ崎、ふたつの貧困を目の当たりにしたことが考えを深める出発点になりました。そのおかげで、今の世界は多くの問題を抱えていることも知りました。それらを理解するには、お互いの違いを理解し、お互いを認め合うことが、何よりも重要だと思います。
これからもより多くの国を知ることで、私のものさしを増やしていけたらと思っています。そして、他国を知るときのワクワクする気持ちをいつまでも持ち続けたいと思います。
私の通う学校は、戦後間もない厳しい環境の中で開校しました。学校設立のため厚い支援をして下さったのが、現在フィリピンにある姉妹校です。
私は昨年、本校が行っているフィリピン研修に参加しました。フィリピンについて、それまで私が知っていたことと言えば、多くの貧しい人々が路上生活をしていることや、日本へ出稼ぎにやって来る人々がいると言うことでした。ところが、実際に私が訪れたフィリピンには、羨ましい程に贅沢で何不自由のない生活を送っている人々が大勢いたのです。彼らは陽気で人なつっこく、おもてなしの気持ちにあふれていました。何よりも家族を大切にしていることも知りました。
しかし、一方では、大きな交差点などには物乞いをする人々が大勢いたのです。貧しい人は物を乞い、お金持ちは惜しみなく与える。それが当然のことのように行われていました。道路一本、壁ひとつ隔てただけで、豪邸とプレハブ住宅が共存する町、それが私の見たフィリピンでした。本当のフィリピンを知り、貧困について理解するにはもっとこの国の政治や経済、そして、歴史について学ぶ必要があると感じました。
貧富の差について考え始めた私にとって、奉仕の精神を学ぶために、釜ケ崎を訪れたことも貴重な経験となりました。大阪の釜ケ崎は、働き口を探す人々が集まる特殊な地区です。私には釜ケ崎が、なんとなく危険な場所だというイメージがありました。釜ケ崎を訪ねる前は、かなりの不安と抵抗もあったのです。しかし、実際に行かれた先輩方のレポートを読み、私は行くべきだと思いました。そこには、豊かさと貧しさとを分ける境目のような何かを感じ取れる気がしたのです。
以前は、「夜回り」と呼ばれる夜中に路上生活をする人々に暖かい食べ物や衣類などを届ける活動を行っていましたが、最近は生活保護を受ける人が増え、路上生活者が減少しているため、私たちは昼食の炊き出しに参加することになりました。一見これは良い方向に向かっているように思えますが、現状を知る語り部の方はおっしゃいます。「この路上生活者の減少は町を奇麗に整理するための政策で、貧困という彼等の問題を解決する方法にはなっていない」のだそうです。さらに、夜間には数の減った路上生活者が、若者から襲われる事件が多発しているという事実も知らされました。同じ大阪に暮らす者として、知らなかったでは済まされないことだと強く思いました。
その他 2012
大阪ユネスコ協会 役員 2012/6 現在
会長 中馬 弘毅 前衆議院議員
副会長 山幡 一雄 元大阪市経済局長
山田 忍 関西ピアノ専門音楽学校校長
吉本 祥生 兵庫中央病院名誉院長
理事 中西 正人 大阪府教育委員会教育長
永井 哲郎 大阪市教育委員会教育長
阿部 圭介 朝日新聞大阪本社編集局長
橋本 圭也 大阪ガス(株)執行役員 総務部長
奥田 務 椛蜉ロ松坂屋代表取締役会長
柴田 稔 東洋紡(梶j名誉顧問
崎本 利樹 日本放送協会大阪放送局長
末岡 祥弘 (公益法人)大阪YMCA代表理事
大川 均 大阪ユネスコ協会日本語教育研究委員
楠見 晴重 関西大学学長
森 一貫 関西外国語大学教授
林田 雅至 大阪大学教授
辻 祥光 アクトレップ(株)代表取締役社長
津江 明宏(新) 今宮戎神社宮司
神谷 安子(新) 東成区更生保護女性会副会長
東浦 栄一(新)
湯浅 良男(新) 大阪ユネスコ協会技術情報アドバイザー
常任理事 武田 暢樹 大阪ユネスコ協会事務局長
監事 金村 義夫 大阪司法書士会監事
顧問 金森 順次郎 山田科学振興財団理事長
橋本 守 日本国際連合協会関西本部長
河田 悌一(新) 日本私学学校振興共催事業団理事長
主催大阪ユネスコ協会、大阪府教育委員会
平成24年度 『 国際理解・国際協力のための高校生のスピーチコンテスト 』
平成24年6月30日実施 大阪決勝大会最優秀賞作品
(主催大阪ユネスコ協会、大阪府教育委員会)
「世界照準のものさし」
被昇天学院高等学校2年 高柳 涼杏(りょうか)さん
「近畿ブロック・ユネスコ活動研究会」in 貴志川 へ参加して
大阪ユネスコ協会 会長 中馬 弘毅
今年度の近畿ブロック・ユネスコ活動研究会は、去る2月26日(日)、和歌山県の貴志川ユネスコ協会の主管で、紀ノ川市西貴志コミュニティセンターで開かれた。私どもは大阪から車で駆けつけたが、和歌山県の山地に入ると、昨夏の台風による崖崩れの跡が痛々しく、各所でまだその爪痕を残していた。
研究会の基調講演では、「ネコの駅長」で有名になった和歌山電鉄の小嶋光信社長が補助金に頼らない、沿線の多数の住民の出資や、有形無形の協力、そして猫の“タマ”を駅長にして『ネコ電車』を走らせるというアイデアで、マスコミ・TVに取り上げられ、全国から注目を浴びて、町を訪れる人や電車に乗りに来る人が急増し、鉄道は廃線の危機をまぬがれ、今では黒字路線になっているという大変貴重で興味あるお話を聞かせて頂いた。
午後にはユネスコ協会連盟理事の方々の現在の世界情勢を踏まえたシンポジウムで、ユネスコ世界遺産見学視察ツアーを通じての国際交流・文化交流・世界寺子屋運動による貧しい国の子どもたちの基礎教育の助成、ユネスコ・スクールのさらなる普及・展開による学校教育からのユネスコ活動=世界平和=の盛り上げが必要だと訴えられた。たしかに、現在も世界各地で繰り広げられている部族紛争や宗教対立、テロ活動、麻薬事件等々に対しては、私たちが第二次世界大戦後目指した戦争・紛争の根本原因を、教育水準の向上、科学技術の普及、それぞれの国や民族の文化・習俗の相互理解と尊重、によって解決していくというユネスコ運動の原点を、今こそ再び想い起こして着実かつ地道な運動の展開が求められる。
それにしても、この貴志川で実現した住民の自覚と、他に頼ることなく「自立」の精神がまず必要であり、私たちユネスコの運動でも、施すのではなく自立を促すことを第一義におくことが必要だと痛感する次第である。
(写真左より 瀬古穣、中馬会長、勢古哲子、尼子美博、武田事務局長)