2001  1 月 12 

           テキスト ボックス:                            さいたまユネスコ協会

  会長   本多 

近況報告

200010月 ネパール訪問

ネパールへはこれで10回目、内パルパ県ドリマラ村はこれで3回目になります。早朝、自宅を出て、成田、香港経由、カトマンズ、最短で真っ直ぐ、現地協力者の垣見さん宅を目指す。初回のときは、垣見さんの小屋へ最寄の町から、5時間歩きました。2回目はノウハウもでき、中継地が小さな町なので結局、車を手配できずに、単車の後ろに途中まで乗せて貰い、それでも山道をポーターにザックを持たせて、2時間登りましたが、今回は、カトマンズから南西へ飛行機で1時間、バイラワ空港からタクシーで2時間の都市タンセンでジープをチャーターし、ドリマラ村に更に2時間かけ翌日の夕刻、丸々2日間掛けて着きました。 

風景

現地までの道のりは、山々が連なる高原の道、でこぼこした生活道路。1年中で最も気候の良い乾期の秋晴れ。青空の下、所々に黄色く咲き誇る菜の花に似た胡麻の花畑が眩しい。また、ハイキングには暑いくらいですが、日陰に入ると、ひんやりとした空気が気持ち良い。日本の初秋に近い暖かさ。3つの峠を越え、尾根から見渡す村々の家屋と庭の風景は日本の八ヶ岳に広がるリゾートの趣き。

強い日差しの中、のどかな、澄み渡る空の青さと森の緑と胡麻の花の黄の空間にゆっくりとした時間が流れている。と同時に、川辺から山の頂まで何代にも渡って開墾され続けた棚田の幾何学模様が、この村の労苦の歴史を物語っています。きれいに整地され棚田に点在して見える村人たちのゆったりした農作業の姿は、正に桃源郷の世界を垣間見るようです。

消費生活

しかし、遠くから見る風景と目の当りにする生活模様、その実体は、はなはだしくかけ離れています。

真新しい電柱に電線が施設されていました。12年後には電気が繋がる計画らしい。しかし、最初に施設保証の加入金を払い込み、利用する家庭はそう、多くは無いだろうとのこと。普段、日常の生活ではそんなに現金は必要としていない。無ければ無いで使わなければそれで済む。しかし、一旦、電気を引くとなるとまとまった現金が必要であり、また、毎月支払いがおきてくる。そうなると、現金を得るための仕事をしなければならなくなる。

5年前、人が往来できる程度の道が拡張になりトラクターが通れるようにたった。そのトラクターの用途は農耕用ではなく、水田をも耕作できる荷物用の台車を付けた悪路用の運搬車だ。その道路はインドの援助で造られました。

そのことにより、町からビール、コカ・コーラが持ち込まれ、店を飾り、村人はその味を覚えた。

地酒のロキシー Rp6(1Rp約2円)、チャン Rp9、共に650ccのビール瓶にトウモロコシの芯で詮をしたものです。インド製のビールが75Rp.壜入りコーラがRp15。インド製の道路によってインド商品のマーケットが成長し、現金がインドに吸い上げられて行く。

また、米も少々生産するが主にはトウモロコシが中心です。主食はトウモロコシで、その主食が道路ができてから変わった。お米をお金を出せばたべられるようになったのです。断然、言うまでも無く、米のほうがうまいのです。徐々に食べる機会が増え、舌が肥えてくる。もう、後には引き返せなくなる。現金さえあれば・・・・。米 1Kg Rp22。日雇い人夫の給金がRp80ぐらい。

インドへの出稼ぎは1ヶ月Rp1500を持ち帰る。5年前12人だったものが今では数十人になっている。これはかつて我々も辿ってきた貨幣経済・消費経済への道程です。

食事

民家の室内は三和土で、リビング兼ダイニング兼キッチンでもある土間は、日中でも薄暗く、ヤギや犬、鶏が歩き回り、食いこぼしのご飯粒をついばんでゆく。履物は入り口で脱ぎ、ワラで編んだ敷物をしき、座る。囲炉裏からは煙が立ちこめ目が痛い。窓は小さく明り取りとしての機能は最小限にされている。昼、冬でも開け放し、わずかな明かりを取る。(ガラスが無い)夜は灯油のランプに囲炉裏の火が天井の低い部屋の明りになる。

その土間に蝿がブンブン飛び回り、食べ物だけでなく、恐れ多くも人間さまの顔や手に平気でとまりにくる。当初は、気にもなり追い払っていたが、その追いかけっこも次第に面倒になり、目に止まらなくなる。馴れとは恐ろしいいもので、そのうち、暗がりの中で飲んでいたお茶で、口の中に異物を感じ、取り出してみるとそれは茶の中で溺れ死んでいた蝿であったこともありました。それが1度ならず2度も・・・。そして更に恐ろしいことにはその事実をさして驚きもせず騒ぎ立てすることも無く、さりげなく蝿を確認すると、さもありなんとした面持ちで吐き出した蝿を手に受け止め、自分の座っている脇の土間に直接捨て置き、そして、何事も無かったように食事は進んだ。

数件の民家で食事をご馳走になりました。炊飯したライスにカレー汁を掛けたものに油と香辛料で炒めた青菜だけといった、実にシンプルな料理です。その代わり御替りをしつこいほど勧める。カレー汁の代わりに水牛のミルクを掛けた物もあった。この青菜が口に合う。汁を掛けたライスと青菜を右手で混ぜ合わせながら口に運ぶ。これがさっぱりしていて実にうまい。

日本では主食と言えばお米。副食は様々なおかずで主と副が量の点で逆転してしまっている。しかし、ここでは正に、ご飯が主食でその味付けの為に青菜に汁がある。つまり、日本のご飯に一汁一菜である。がその御替りを再三勧めてくれる。最初に盛るご飯の量が丼に大盛り相当だ。副食が少ないからご飯で腹を満たす按配となる。よって、いくら食べても肥満にはならず、村人は総じて皆、華奢である。以上が普通のつまり大半の貧しい家庭の一般的なメニューだ。

それが少々豊かな家庭だとそれに副食が1品、2品と増えてくる。

カレー汁に煮込んだ豆が入っているのがいわゆるネパール料理と呼ばれる「ダル」である。しかし、その豆もそう多く入っている訳でもなく、ダルの出た家は少なかった。

村1番のお金持ちの家ではチキンのカレー煮が出た。客が着てから自宅で飼っている鶏を1羽つぶす。骨付きで大まかにぶつ切りした鶏を煮込んだものだ。地元の人は骨もボリボリと食べてしまう。

食事の作法は客が最初に口にしてから始まり、女子供は客が済んでからというのが、様式になっているようだ。土間の囲炉裏を中心に家族と客が地酒のロキシーを酌み交わしながら食事が進む。その途中でふらっと近所の人が立ち寄り、話に加わり、またさりげなく帰ってゆく。新聞、ラジオの無い世界の情報交換の場である。別に改まったところがない中で近所の交流が自然とあるようだ。

貧しい家は貧しいなりに、豊かな家は豊かなりに、もてなしてくれる。そこに、無理がない。今回での最も貧しい家では3畳の土間にその家族4人客2人の6人が食事を共にした。そこに体裁とか見栄という余計なものがない。自分たちにとって無理の無い普段の生活ぶりの中での心ばかりのもてなしである。特にこの3畳間の家のご飯はやたらおいしかった。その理由は圧力鍋を使っていたのだ。余り、うまいうまいと褒め上げたので、明晩もまた来てくれと誘われてしまった。お客が来てくれる事を本当に嬉しく思い心から歓迎してくれている事をいることを実感する

本多会長とチャンドロダヤ初等中学校の生徒 200010

当協会で背景の校舎を200110月より162万円で新築します

 

子供たち

視察する地域によって異なりますが、数%前後の子供が裸足で登校しています。また、就学年齢に達した子供の10%前後が通学できないでいるのが現状です。山の奥に入る程、貧しさは深刻になる。しかし、生徒たちの姿は無邪気そのもの。子供たちの本来のあどけなさ、素直さや、はにかみが感じられる。

我々は、貧困な状況を見て、そのまま不幸な姿と繋げてしまいがちだが、貧しさイコール不幸せではけしてない。こちらの学校の子供たちには、学級崩壊も家庭内暴力も存在しない。大好きなお父さん、お母さんとはいつも一緒だ。

かつての日本のように、教師は先生様で、貧しいが故に親の存在感はかえって大きい。先生が、棒で騒がしい子供たちの頭をポカポカと叩いてる風景をよく見かけます。学校は10時頃から始まります。子供たちは夜明けと共に6時ごろから、炒った熱々のとうもろこしを前掛けに入れて貰い、水汲みや、家畜の餌を刈りに出かける。体は小さいが10歳ぐらいから家事労働の分担ができる。その役割を終えてから、やおら学校へということになる。始業が10時頃というのは、子供たちが仕事を済ませて、三々五々10時頃から集まって来るからです。彼らに定刻の意識がほとんど無く、我々日本人はいつもいらいらしますが、これが、こちらのやり方、「ネパリ・スタイル」です。

 

里子奨学金の贈呈式 

4校里子100名を訪問してまいりました。各校で歓迎セレモニーを、校長をはじめ、郡長・地域自治委員長・教職員・生徒・父兄等、当日、都合のつく人に声をかけて、集まって貰い、その席上、私が奨学里親制度契約条項を英語で読み上げ、校長が通訳し、現地協力者の垣見氏がネパール語での解釈に誤りが無いか確認をし、現金45000ルピーを校長に預託いたました。そして、その場で校長が1000ルピ−札45枚を勘定し、皆に広げて、披露し、(拍手で沸きました)確認して奨学金の贈呈式を行いました。

現地での活動はあらゆる機会をとらえて、公の場で、なおかつ、でき得る限り多くの関係者の面前で情報公開をしてゆくことを基本姿勢としています。これが、不正を牽制し、防ぐ最良の方法と考えています。

また、里子全員より手紙を受け取り、写真を撮って参りました。ビデオも撮って参りしたので総会の時、皆さんに観ていただける様に準備する計画です。



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