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俳人・黛まどか氏が語る「東日本大震災を通して見た日本人美徳」

香川県高松市において開催された「第68回日本ユネスコ運動全国大会in高松」において、未来遺産運動賛同人で俳人の黛まどか氏が基調講演に登壇されました。

「東日本大震災を通して見た日本人の美徳」をテーマに語られた講演内容を抜粋してお届けします。
俳句や生け花などにみられる「余白」を重んじる日本特有の文化をひもときつつ、その根底にある自然を尊ぶ自然観を紹介し「世界が希求しているものが日本にある」と訴えました。是非ご一読ください。


基調講演「東日本大震災を通して見た日本人の美徳」
黛 まどか

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俳句は引き算の文化を体現する

 2010年から1年間、文化庁の文化交流使としてパリを拠点に活動していました。ヨーロッパの方々と俳句について語り合うことで、私自身、俳句とは何か、日本とは何か、改めて考えるきっかけになりました。その活動の任期があと少しで終わる、というときに東日本大震災が起こったのです。パリにいる私のもとに、仙台に住む友人からたった一行のメールが届きました。
「まどかさん、町が燃えています」。
 その日から連日、テレビで見る被災地の様子に胸を痛めていたのですが、ある日、わずかな食料を受け取るため、雪の降る中、整然と列をつくっている被災者の姿が映し出されました。お見舞いの言葉をくださったフランス人の皆さんは異口同音に「日本人はすごい。あんな状況で、なぜあんなに秩序正しくいられるの。なぜあんなに人を思いやれるの」とおっしゃいました。
 やがて、先ほどの友人から次のようなメールが届きました。
「瓦礫の町に美しい星空が広がっています。僕がこれまでに見た星空の中で一番美しい星空です」。
 まだ食べ物にもこと欠く日々なのに、星空を美しいと仰ぐ。私はここに、日本人の美徳の根っこがあるように思いました。古来から、日本人は自然を尊んできました。自然に打ちのめされた後ですら、自然を愛でることを忘れない。そして、震災直後から人びとは俳句をつくり始めました。阪神淡路大震災の時も同様でした。俳句をつくることで生きる喜びを感じ、さらにそれを読んだ人びとを励ましたのです。
 十数年前、当時のニューヨークタイムス東京支局長が、俳句について聞きたいと私のところへ来られました。彼が東京に赴任して最初に驚いたのは、日本は経済大国である以前に「詩」の大国であったことだそうです。日本の俳句人口はおよそ800万人といわれています。ほとんどの新聞や雑誌に、俳句や短歌のコーナーがあります。お茶やお菓子の袋にも、詩や俳句が印刷されていることが少なくありません。それくらい詩が身近にある。暮らしの基盤の部分に、詩をよむという文化がある。
 一方、近年は利便性と快適さを追求した結果、世の中にものがあふれています。過剰な包装、過剰なアナウンス等々。あらゆるものが饒舌になっています。つまり足し算に邁進してきたのが現代日本です。物欲は次の物欲を生むだけで決して充足感は得られません。
 今の世界の行き詰まりを打破するヒントのひとつに、日本の引き算の文化があります。その代表的なものが俳句だと思っています。俳句はたった17音の、世界一短い詩です。多くを語らず、省略することによって生まれる余白があります。ここでひとつ、有名な俳句をご紹介します。
「花衣脱ぐやまつはる紐いろいろ」杉田久女
 外は満開の桜の夜。お花見から戻って着物を脱いでいくと、着付けに使った色とりどりの紐がまわりに落ちていく、という情景です。しかし、この句の余白からは別の思いが読み取れます。久女はたいへん才能のある女性でしたが、当時の日本では女性の社会的地位は低く、才能ある女性の活躍を認めませんでした。ですので、次第に追い詰められていき、やがて精神を病み、一冊の句集を出すこともなく、56歳の若さで亡くなったのです。たくさんの紐は、女性をしばっていた社会のさまざまな差別や制約ととることができます。この句には彼女の嘆きが込められているのです。俳句では、ものに思いを託します。感情的な言葉を敢えて使わず、自然やものに託すことで作者の心が浄化され、昇華されていく。だからこそ、より深く人びとの心に響くのです。

人間は自然という大きな流れの一部

 俳句には「有季定型」というルールがあります。季語を使用し、五七五の定型でよむということです。このルールは、俳句に限らずほかの日本文化にもあてはまります。
 ではまず、日本人の自然観についてお話しします。私が1年間パリに暮らして、一番強く感じたのは季節の移ろい方が全然違うということ。パリの季節はある日突然、劇的に変わります。一方、日本では季節は行きつ戻りつしながら、少しずつ移ろっていく。そうすると、いまの季節を惜しむ心と、次の季節を待ち望む心が生まれます。冬の季語に「春隣(はるとなり)」というものがあります。晩冬になると寒さの中にも、空の色、海の色などに春の気配が感じられる、そんな季語です。また夏の終わりの季語には「夜の秋」というものも。昼間はとても暑いけれど、夜になると風が涼しくなって虫の声も聴こえ始める、といった情景が感じられます。桜を巡る季語には、初花から始まって花吹雪、さらに散った花びらが水面に浮いている様子を「花筏(はないかだ)」といいます。自然に対するこういった細やかな美意識が、たくさんの言葉を育みました。日本には雨の名前は440あるそうです。微妙な違いでいろいろな雨の名前を育んできたのですね。そういうことを知るにつけ、俳句を始めてよかったと思います。
 ところで、季節感を盛り込むというのは、俳句に限りません。日常、出会ったときや手紙でも時候の挨拶をします。和菓子のモチーフも四季折々変化し、着物の柄もそうです。いろいろな民族衣装がありますが、日本の着物ほど季節感を生かした衣装はほかに知りません。
 日本人の自然観には、もうひとつ特徴があります。自然を人間さながらに扱うのです。山を表す季語を例にとると、春の芽吹きが始まる「山笑ふ」。夏、万緑の「山滴る」。秋の紅葉は「山装ふ」。しんと雪に埋もれた冬は「山眠る」。すべて山を擬人化しています。
 パリでは、定期的に俳句のクラスを持っていました。ある句に「手袋に雪 京都でまた見られるのだろうか 私たちの桜」というのがありました。これはフランス人の句だな、とすぐに思いました。なぜなら日本人は「私たちの桜」とはいわないだろうと思ったからです。同じ自然を詠むのでも、日本とヨーロッパでは自然観が違うとつくづく思いました。彼らは、自然は人間の世界の一部ととらえています。一方、まず自然という大きな命の流れがあって、その中の一部として私がいる、と考えるのが日本人だと思います。
 また、パリでは小動物に対する日本人の意識にも気づかされました。パリ在住の日本人の方がおっしゃるのです。オランジュリー美術館には、モネの「睡蓮」があります。あれだけ広い池なのだからトンボやカエルが描かれていてもよさそうなものなのに、蓮池にはトンボ一匹、カエル一匹描かれていない。小動物や昆虫が描かれている西洋絵画は極端に少ないのです。一方で、日本画は鳥獣戯画をはじめ、さまざまな時代の絵に小動物が重要なモチーフとして描かれています。詩の世界でも、ヨーロッパでは小動物や昆虫は何かの例えとして描かれることが多いのですが、日本では常に詩の対象となっています。
「古池や蛙飛びこむ水の音」松尾芭蕉
「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」小林一茶
「冬蜂の死にどころなく歩きけり」村上鬼城
 これらの句に登場する小動物や昆虫は、主題そのものです。
「蛸壺やはかなき夢を夏の月」松尾芭蕉
 この句ではかなき夢を見ているのは、蛸であり芭蕉なのです。日本人は自然と人の間になんら境目を置かないのです。

余白にあるものを想像して感受する

 次に型の話をします。俳句の命は型にあります。これがヨーロッパの人にはなかなかわかってもらえません。俳句に型がないと、ただのショートポエムです。これは俳句とは全然違う。型を尊重して、省略して生まれるのが余白です。ある書道家の方が「字が書かれていない白いところを見て、美しければよい書です」とおっしゃいました。俳句も、言葉を紡ぎながら一方で余白を紡いでいます。決して作者の感動を押しつけたりせず、相手にゆだねる。余白を察するとは、言葉の周辺にある見えないものを想像して感受すること。これは今、世界が抱えている諸問題、平和への糸口になり得ると確信しています。
 昨年、帰国してすぐに被災地へ行きました。宮古市のある方は、津波をかぶったその夜から俳句をつくり出したそうです。また、岩手県山田町の小学2年生の少年は、私の目の前でパッと一句詠みました。
「まんかいのさくらがみれてうれしいな」
 山田町では津波の後に火災がありました。それらを乗り越えて命をつなぎようやく迎えた春です。桜は少年であり、少年が桜でもある。万葉の時代から続く文化が、被災地でも引き継がれていると感動しました。
 次は、岩手県野田村に住む70代の方の句です。
「身ひとつとなりて薫風ありしかな」
 被災後2ヶ月くらいに詠まれたそうです。この句も、悔しいとか悲しいとか生の思いは述べず「薫風ありし」といいきっている。そのことで作者自身が浄化され、昇華していると思います。
 被災者ではない私たちが、被災者の詠んだ句に力をもらっている。これこそが言葉の力。ものいわぬ国、日本の文化力だと思います。

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