日本ユネスコ運動全国大会in沖縄

持続可能な平和のとりでを築こう「命どぅ宝」(命こそ宝)

第72回全国大会が、6月25日(土)~26日(日)に沖縄コンベンションセンター(宜野湾市)で、「持続可能な平和のとりでを築こう~命どぅ宝(命こそ宝)」をテーマとして開催された。

全国大会が沖縄で開催されたのは34年ぶりであるが、その後も世界に紛争が相次ぎ、貧困、格差、環境破壊などの課題がより深刻となっていることに対して、かって悲惨な地上戦が繰り広げられた沖縄から「持続可能な平和」を切実に願う思いを込められた、また郷土芸能交流もよく配慮した素晴らしい大会であった。

当協会からは5名が参加して当大会を盛り上げた。思い起こせば、この3年間の全国大会で、北(知床)から本土中央(和歌山)を挟んで南(沖縄)まで、文字通り日本全体にわたりそれぞれに地域日本ユネスコ運動全国大会in沖縄の特色を出して意欲的に草の根ユネスコ活動をされておられることを目の当たりにして、非常に心強く頼もしく思った。民間ユネスコ運動70周年になる来年度の全国大会は、民間ユネスコ協会が世界で初めて創設された仙台で開催されることに。

特別講演

講師:高橋哲哉・東京大学大学院総合文化研究科教授、タイトル:沖縄で平和を考える~一人の戦後日本人の自省から~は、主たる聴衆である日本本土からの参加者に対して、あたりまえのごとく平和を享受していることへ痛切に自省を促した。すなわち、アンケートによれば国民の多くが憲法9条を支持すると同時に日米安保体制を受け入れているが、それに矛盾を感じないで平然としておれるのは、圧倒的に大部分を占める本土の日本人が、日米安保の代償として米国に基地を提供することの方はもっぱら沖縄に犠牲を強いている(国土は0.7%の県に74%を)からである、と指摘された。とは言え、究極に目指すべきは、日米安保に依存しないで憲法9条を堅持することであり、それには世界中の人の心の中に平和の砦を築く以外にない、とユネスコの活動にエールを送って講演を締め括られた。

続けてのパネルディスカッション「語り継ぐ平和」では、少年期に沖縄戦を体験したお二人が、周りの皆が集団自決していった中で、また日本兵による壕からの追い出しや住民虐殺の中で、自分達が生き残ったことには、死ぬまで他人に明かせないような極限状況があったとして、それぞれ抑揚を押さえて語られたので、筆舌に尽くせない沖縄戦の本当の悲惨さが一層ひしひしと伝わった。

ESDユネスコスクール事例発表では、金武町中川小の「世界のウチナーンチュ大会(琉球移民を先祖に持つ外国人が5年に一度集まる)」ボランティア活動、北谷町北谷中の国内中学校に加えてのイギリスのディーンマグナスクールとの学校間交流、などの「つながる地球」をテーマとしての意欲的な取組みに感動した。(石田)

~平和行進に参加~

私の母は、昭和3年生まれで今年88歳になります。女学校へ入学した年が日米開戦の年。当時の高等女学校は4年制でしたから、卒業の年が終戦の年で、まさに全く戦争の中の女学生でした。「今の北朝鮮みたいだったよ。ほかの情報なんて入ってこないから、私たちは日本が勝つと思っていたし、お国のために死ぬのは当然」で、沖縄の「ひめゆり部隊」の話を聞いて、次は私たちと思い、卒業式の歌は“蛍の光”ではなく“海行かば”だったそうです。平和行進に参加

ユネスコ全国大会が、沖縄で開催されることになり、その案内の中に「沖縄慰霊の日・平和行進」があることを知りました。

今まで全国大会に出たことは、なかったけれど、それに参加したくて申し込みました。「平和行進希望の方は、まだ3人です。と旅行社の話に慰霊行進したいので沖縄に行くのに、とヒヤヒヤしました。

梅雨明けの沖縄は想像以上に体にこたえました。現地に着いて毎朝早起き、現地の気候に慣れるようにしましたが、「沖縄の人は“冷たいがご馳走”と思っているので、つい冷房をきつくしてしまいます。」一番寒かったのはバスの中でした。

出発地点の糸満市役所前に着きますと、たくさんの人々が既に到着していました。「慰霊行進」のゼッケンをもらったのですが、よく見たら「遺族会」のでした。このゼッケンが、今回の沖縄旅行での一番の記念品となりました。

小学生もたくさん参加していて、この時初めて、私は6月23日は、沖縄では条例で学校も休みということを知りました。

遺族会の列の後に続いて、ユネスコ協会は行進を始めました。県道を長い行列が延々と歩いて行きます。所どころ、給水所もあり地元の人のお世話になりました。「ひめゆりの塔」までは10キロちょっとでしたが、何しろいきなり真夏日でしたので、土地の人よりも早く体にガタが来ました。

同行していた沖縄ユネスコ評議員であり市会議員でもあるという美しい女性 前泊さん(上品な黒の「かりゆしウェア」をお召しになり慰霊の心を表されていました)と、このウォークを企画してくださった沖縄ユネスコ協会会長東良和さんと親しくお話をさせていただきながら歩くことができ、長年の母の想いを代りに実行できました。途中で倒れたりしたら迷惑になりますので、「ひめゆりの塔」に参拝して、あとは沖縄ユネスコの救護車に乗せてもらい会場のマブニの丘まで一足先に連れて行ってもらいました。沢山のグループが南国の日射しを避けて木陰で休んでおりました。

ユネスコの方々と再び合流し、亡くなった23万人のお名前が刻まれている「平和の礎」を通り抜け、「永遠の火」の前で一同平和を祈りました。

人の心の中にはまだまだ「すべての人との平和の絆」は生まれず、私たちユネスコのしていることは小さな「砦」しか、築いていないようですが、それでも一人の心が世界に通うことを念じて、沖縄へ行き、激戦地の跡を目の当たりにしたのは意義ある事と思いました。

機会があればまた沖縄へ行き、平和行進に参加したいと思っています。         (植原)

~あれから34年を経て~

34年ぶりに沖縄で開かれた全国大会に再び参加した私にとって、この大会で提起された問いかけはとても厳しいものでした。

今回の大会では幼少年期に沖縄戦を体験したお二方の生の声を聴く機会をいただいた。「身内が被害者で加害者にもなるのが戦争の悲惨さ」とのご指摘。戦時下、集団疎開をした私の幼い体験からでさえ、それは思い当たる節がある。

いま現在、沖縄が荷わされている米軍基地の過重負担を、どう受けとめ痛みを分かち合えるのかの問いを抱えての帰路でした。

ちなみに、34年前の沖縄大会には、その2年後に創設の世界ユネスコクラブ・協会連盟(WFUCA)設立準備会議を本土で開き、その国際会議に出席した世界各地域の代表が大挙して参加。大要下記3項目の大会決議を採択したのでした。

①戦争体験を風化させることなく、次世代への継承を地域から世界へ。

②民際交流を実践し、痛みをともに分かち合うこと。

③自己変革の学習に裏付けられた行動を地球平和のために。

来年、民間ユネスコ運動は70年を迎えます。この間に先人たちが積み重ねた平和への志を、この国を含めた世界全体の不安定な状況の中で、どう継承できるのかと、正念場しきりの想いに沈みがちの晩夏です。       (尾花)

~20回目の全国大会~

今回の全国大会で、私は20回目の参加となりました。悲惨な地上戦のあった沖縄。そして未だに日本の74%の基地を抱えている沖縄での全国大会は、ひとしお感慨深いものがありました。

オープニングでの南風原高校生のきびきびした組踊り(肝高の阿麻和利)に元気をもらい、この子たちに早く本当の平和が訪れますようにと祈りました。

大会の翌日、尾花さんと沖縄にお住いの西片さんに車で水族館に連れて行って頂き、ジンベイザメの食事の様子を見られたのが良い想い出になりました。西片さんに感謝、感謝です。   (久保)

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