情報ア・ラ・カルト

被爆のマリアに捧げる讃歌

被爆マリア像に出会ったのは、私が20歳の時でした。「なぜ人間は憎しみ合い、傷つけ合うのか」マリア像の空洞の目は、私に強い疑問を投げかけました。 被爆のマリア像が心から離れないまま、長崎の原爆資料館に足を運ぶと、そこには「被爆した樫の木」がありました。原爆投下当時、若かった樫の木は、四方八方から飛んできたガラスの破片を受けました。ところが若い樫の木は翌年もただ、ただ生き続け、幾重にも年輪を重ねていくうちに、ガラスの破片を幹の中心に抱いて、外からはわからないような、立派な木に育ったというのです。
自然界で起きたこの出来事は、被爆マリア像だけでなく、すべての被爆者に重なる様な気が致しました。私たちの人生にはガラスの破片が刺さることがあります。 人生を襲う苦難や痛みは私たちの心にいつまでも刺さっているのかもしれません。しかし、生きていること、命の源への信頼はそれをすべて包み込む最大の希望なのだと感じたのでした。被爆者が痛みを思い起こしながらも、自らの体験を語り継いできた、強い意志の奥にある平和への願い。私たちは彼らの勇気と愛情と犠牲の上に語られた言葉を、受け継いでいく使命があるでしょう。
そして何より、この曲を捧げる時には、悲しい歴史の中に宿り続けた、生きるものの希望を胸に抱いて歌い続けています。(コロンえりか:ベネズエラ大使夫人)

~セーラ・ダ・カピバラの近況~

鎌倉ユネスコも支援してくださっているブラジルの世界遺産セーラ・ダ・カピバラ国立公園に行ってまいりました。 ここ数年、ブラジルの政権が変わって、公園の管理・研究・保護を担っているギドン博士たちのチームは、国からの予算はストップして、従業員の解雇、車から手放すなどの困難な状況と聞き心配しておりましたが、現地に着いて見ると、困難にも負けず頑張る皆さんに再会できました。セーラ・ダ・カピバラ
博士(写真中央)は今年85歳ながら変わらぬ働きぶり。真っ先に鎌倉ユネスコからの支援金へのお礼の言葉。博士は、昨年蚊が媒介するチクングニア熱にかかり、足首が腫れて痛みを伴う後遺症のため歩行は大変のようでした。焼き物工房では30人ほどが働き、Tシャツやお土産品も売られていました。工房の横に、10部屋ほどの山小屋風の小ぎれいな宿泊施設が作られ、快適でした。 現在、172ケ所の遺跡が見学可能。鎌倉ユネスコの皆様ともう一度かの地に行けましたら実に幸甚でございます。
(井上アメリア:NPO法人マイケン)

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