4年ぶりのセーラ・ダ・カピバラ国立公園
アメリカ大陸人類研究博物館(FUMDHAM)の現状

鎌倉ユネスコが2000年8月、6年前に実施したブラジルツアー。そこで見たセーラ・ダ・カピバラ国立公園の岩絵とニエデ・ギドン博士が中心になって、おこなっている識字教育のその後を、その時お世話になった井上アメリアさんからお手紙をいただいた。以下はその要約である。

 アメリアさんは4年ぶりに、現地サン・ライムンド・ノナトを訪れた。2年前には国立公園の維持管理の予算が遅れて学校経営は、苦境に陥っていると聞いていたが、行ってみると活気にあふれていた。
 居間には岩壁画の詳細なヴィジュアル調査研究に必要な日本製の大型テレビがあり、日本の放送が視聴できびっくり。
公園内遺跡の登録数は1030箇所。遺跡付近に住み着いていた人達も200家族から20家族へ減っていた。
 感動したのは約30人が働く焼き物工房。いまではサン・パウロやイタリアのミラノまで出荷していた。働く若者はギドン博士の学校で学んだ子どもたちだ。
 いま、150人の児童と40人の15歳以上の子供たちが公立学校の補習授業、読書、カポエイラという伝統的な踊り、絵、パソコンなど学んでいる。そうした活動の中でも、食事も十分に摂れない恵まれない子ども達にバランスのとれた給食が提供されていた。
 鎌倉ユネスコから、いただいた衣類文房具類は、子ども達に分け与えたこと。またデジタルカメラを購入。写真はそのデジタルカメラで写したもの。
 何よりも驚いたのは、考古学部がサン・ライムンド・ノナト市に開設されたこと。ブラジルで初めての考古学部で、大学名は国立ヴァレ・ド・サン・フランシスコ大学という総合大学。本部は300キロ離れたペトロリーナ市にある。
 今、ブラジルではホンダのバイクはクルマより人気があり、日本人を見る顔は親愛に満ちていて日本人の血を引くものとして誇りに思ったと結んでいる。(鴇澤)

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