「危機遺産」イフガオ柵田群へのスタディーツアー

 

2006年に東京で開かれた国際シンポジウム「危機にさらされている世界遺産をどう守るか」のパネリストとして来日したバギラット氏(現在イフガオ州知事)との約束で鎌倉ユネスコ・イフガオ・スタディツアー準備が始まった。5000ドルの支援金を積み立て、一行15人は2月7日から13日、現地を訪問。過疎化・高齢化・若者の流出で棚田を維持する伝統的知識と人材が失われたことが原因で2001年には危機遺産リストに記載されるに至った現地で、日ユ協連が進めている「イフガオの伝統的知識継承プロジェクト」を学習し、プロジェクトの中心となっているイフガオ国立農林業大学(ISCAF)のリーダーたちと交流。さらには先住民の集落を訪問。「天国に至る階段」と言われる棚田景観を満喫した。

 

 

◆3年越しで叶った
棚田訪問で感じたこと

 雨期や受入態勢の関係でやっと実現したツアーだった。全員の健康と安全を期し、健康は生水・生野菜厳禁で成功。山岳地移動車両も確保したが、車は古く道路は悪く、肝を冷やす場面もあった。
 このツアーで感じたこと。マニラと山岳地との経済的・文化的格差/どんな過疎地にも学校と教会があったこと/世界遺産棚田が国内に知られていない/エコツアー用インフラが未整備/大学指導で遺産保全教育に非常に熱心/過去の戦争の影響を心の片隅に感じて現地の人びとと対応したが、友好的な歓待を受け、逆に多くのことを考えさせられたこと。
(団長・森井曠雄)

◆アニミズムの世界垣間見た先住民の暮らし

バナウエイ・ホテルのモーニングコールは、高らかな雄鶏の鳴き声だ。窓を開けると、霧に包まれた空気が流れ込んで来る。7時30分、ガイドのラリさんの案内で、ホテルから10分ほど急階段を下り、タムアン村にイフガオの族集落を訪ねる。ネズミ返しのある4本柱が、ピラミッド型の草ぶき屋根を支える高床式の伝統家屋が3棟ある。梯子を6段登って朝食の準備を見学する。板張りの8畳一間。暗い四方の壁(竹編)に農具や食器が吊り下げられている。窓はない。衣類は総べて野外に、ロープを張って吊るす。
 幼い子供、放し飼いの鶏と犬、痩せた豚が、床下で遊んでいる。日本の弥生時代にタイムスリップしたようだ。大人は、棚田で農耕を営みながら、観光客用の織物やカゴ等の手工芸品を作っている。木彫と籐細工を作る民家で、小さいボールを求める。家族はいま、お祖父さんの「頭骨」と一緒に暮らして居るという。「見せてもらいましょうか」とラリさん。畏れおおい。此処には、神に似た空気に守られて、先祖伝来の生活が存在する。アニミズムの世界だ。
(鈴木佳子)


◆忘れられない笑顔 学生たちとの田植え

 研修のベースキャンプは、ルソン島北部バナウエイの“かんぽの宿”的ホテル。そこから2台のジープニーにゆられて世界遺産の棚田見学。初日はフンドゥアン棚田の真っただ中にあるISCAF分校敷地内での行事。村人、大学関係者など50名の大歓迎を受けての式典、歓迎合唱、先住民族ネイティブハウス復元工事。2日目はキアンガン棚田で大学生との田植え実習。大学生たちの、くったくのない笑顔が忘れられない。3日目はマヤオヤオ棚田群の見学。カラフルな民族衣裳に目を奪われた。踊りの伴奏のドラの響きが、いまだ耳に残って離れない。マニラからバナウエ、片道12時間バスに揺られての体力勝負の旅だったが、鎌倉ユネスコ仲間意識の力強さに圧倒された心に残る旅でした。
(川辺和雄)

◆霧たちのぼる夢幻世界 アイディアは次々に・・・

イフガオの棚田は米作りをする農民なくしては維持できない。数十年前までは経済的にほぼ孤立したコメを核とした世界を維持してきた。しかし道路ができ教育が普及し、外の世界との交流が盛んになるにつれ衰退への道をたどる。どんな職業も経済的な裏づけがなければ成り立たない。民族の誇りだけでは難しい。棚田の風景は疲れた人の心を癒す。せめてマニラから一泊で往復できる仕組みは作れないか。標高千メートルの高地で栽培される美味しいコメの品種開発とエコ観光農業を両立させる方策は? 濃い霧の晴れ間にのぞく青空。夢幻の世界で、アイディアは次々に浮かんだが、紙数がない。棚田保全に熱心にとり組んでいるISCAFのヌゴアヨン学長に提案しようかな。  (本岡俊郎)

◆小さな瓶の赤い土と高校生コーラスの感動

 標高2千メートル級の山々に囲まれたイフガオは、第二次大戦末期、山下奉文将軍降伏の地として有名な高地でした。マヤオヤオの博物館を訪れたときのことでした。女性館長から赤い土の入った小さな瓶をいただきました。「戦争の悲惨・怨讐を越え、友愛で平和の招来を」と書かれたカードが添えられていました。私たちを迎えてくださった高校生によるコーラス“私たちが手に手をつないだら”の美しく情感のこもった旋律を聴きながら涙が溢れて止まりませんでした。いま、私たちは世代も国も超えて平和な心で繋がっている。この土には忘れてはならない悲しい争いの、血と汗と涙が染み入っているのだと思って聞き入っていました。  (大澤育子)

◆そこで暮らす人びととふれ合うことの大切さ

 先輩たちと共にイフガオを訪問できたことで、私自身も思慮が深まりました。森井団長が「支援金づくりに3年かかって、ようやく訪問が実現しました」と語ったのをきっかけに現地のカウンターパートが「どうやって支援金ができているのか」に大変興味を持ち始めたようでした。彼らにとって、鎌倉ユ協の訪問が、単なる伝統的住居作りや田植え経験という形としてだけでなく、遠く日本人のかく汗を考えてみる良いきっかけになったと思います。 (尾崎由比)


《S.T.の仲間たち》
団長:森井曠雄(鎌倉ユ協理事長)
コーディネーター:尾崎由比(日ユ協連教育文化事業部)山田ミヤ子
団員:岩本紀代子 大澤育子 尾花珠樹 川辺和雄 木村五郎 塩澤和子 鈴木満帆 鈴木佳子 長島京子 本岡俊郎 森澤郁子 吉岡幸春(以上鎌倉ユ協会員)
ツアーガイド:エブラハム・ラリ(現地参加)

 

 

 

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