ありがとうマイケル・ジャクソン 私たちはあなたを忘れない

それは1987年晩夏のことだった。一本の電話が、当時私が在職していた日本ユネスコ協会連盟事務局に入った。

マイケル・ジャクソン関係者から「この秋、日本での初公演にあたって、マイケルがユチャリティ・オークションを前に、ネスコ運動に協力したいと言っている」と。ひとつはマイケル愛用品提供によるチャリティ・オークション。

もうひとつはマイケルの肖像入りゴールド・メダル発行の許諾。それらの収益金全額寄付の申し出だった。ポップスの世界に暗いため躊躇する私の背を押してくれたのは事務局の若い職員たちであった。

オークションには全国からフアンが詰めかけた。愛用のマフラーやブルゾンなどはどこまでも高値がつき、遂には競り人がストップをかけなければならないほどだった。ゴールド・メダルは発売と同時に完売した。これらの収益金1000万円余は、そっくりユネスコ運動のためにと寄せられた。
何の見返りも要求せず、その基金にマイケルの名を冠することさえ拒み、ただ基金の使途は「学ぶ機会に恵まれない途上国の子どもたちのために」の言葉を残して、マイケルは日本をあとにした。
私たちはこの基金をシードマネーに、1990年に始まる「国際識字年」に先駆け、1989年、「ユネスコ世界寺子屋運動」をスタートした。この運動は、ことし20周年を迎えた。

日本滞在中、何日か行をともにした私たちが驚いたのは、少年のように無垢で繊細、含羞に満ちたマイケルの実像であった。湘南海岸を走る車の中だったか「あなたはなぜ寄付先に民間ユネスコを選んでくださったのですか?」と質問した。ようやく聞き取れるほどの小さな声で「ユネスコの支援活動がギフトでなくコー・アクションだったから。その理念に共感したから」とマイケルの答が返ってきた。Co-Operative Action 略してコー・アクション。支援する側も受ける側も、同じ地平に立って共に行動する。これぞユネスコ精神そのものだった。

差別と貧困を平和と共生に変えていくことを、その音楽活動を通して訴えつづけたマイケル。

 もう見過ごしてはいけない
 世界で起こっていることを。
 僕たちが変えていかなくては
 僕たちにはそれができる筈だと"We are the world"でマイケルは絶唱している。

オバマ大統領はこの4月、「核兵器のない世界の実現をめざす」とプラハで演説した。もしかしたら、オバマ大統領の「Yes, We can, change!」は、マイケルの呼びかけへの答でもあったかと、マイケルの急逝を悼みつつ追想している。      (尾花珠樹)

 
 

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