ユネスコサロン
「鎌倉の町の成り立ち−明治、大正、昭和」

本年度第3回目のユネスコサロンは昨年12月6日(日)鎌倉大仏殿高徳院の客殿で実施。当日は会員外の方々も多く、参加者63名と大盛況でした。
 講師は会員の小泉親昂氏。鎌倉生まれ、鎌倉育ち。県会議員として活躍。最近は(社)鎌倉同人会の常務理事を務める傍ら、鎌倉市の発展のために各方面でご活躍中です。
 明治、大正、昭和にわたって、鎌倉の町がどのようにして発展してきたかを興味深く聞くことが出来、これからの町作りを考える上でいろいろなヒントを与えられたようです。先人たちは地元の人も外から来た人も口を出し、金をだし、汗もかいたのだと言うことを強く感じました。お話の概要は次の通りです。
明治時代 明治維新前後、農業、漁業の村で大山詣での帰りの若干の観光客が立ち寄る程度であった。
 気候温暖、風光明媚なことから保養地として適地と認められてから訪れる人が増加。別荘を建てる人もあらわれる。明治22年横須賀線が開通と共に明治末には、別荘が自己所有400、貸し別荘400が数えられた。明治27年に鎌倉町が発足。明治41年には電気がひかれ、43年には江ノ電が開通、44年には図書館もできた。
大正時代 寺社仏閣の荒廃はひどく、衛生環境も悪いことから、鎌倉をなんとかしよう言うことで鎌倉在住の著名人が集まって大正4年1月4日に鎌倉同人会が発足した。関東大震災では鎌倉は甚大な被害をうけた。行政だけではとても対処できず、同人会も加わって震災被害者救済費を集めた。
昭和時代 文化財保護のため国宝館が昭和3年建設された。横須賀線は複線化、電化され、交通の便が益々よくなり、東京、横浜へ通勤する人がふえ、昭和14年、鎌倉市が誕生。鎌倉には地の人、戦前の移住者、開発による移住者の3タイプがあるが、先人に倣って3者の友好が町をよくしていく「鍵」であると結んだ。(赤井)

 
 

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