金沢文庫、称名寺見学会

武家の古都・鎌倉の地域的範囲は、現在の鎌倉市だけではなく横浜市と逗子市の一部も含まれる。
当時は、東は六浦、西は片瀬川、南は小坪、北は山ノ内が四境といわれていた。そのため、鎌倉の世界遺産登録の候補地には横浜金沢の称名寺と逗子市にまたがる名越切通しも含まれている。
今回は、鎌倉地域遺産保全活動委員会と鎌倉世界遺産対応委員会の共催により2009年11月21日(土)に鎌倉市世界遺産登録推進担当の玉林美男さんに同道頂き現地実証見学会を実施した。
最初に、金沢文庫学芸員により、鎌倉時代の武家の書庫・図書館である文庫の遺産としての重要性をスライドにより解説して頂いた。
金沢文庫は、鎌倉幕府執権北条得宗家の分家である金沢北条氏・実時により創設された。学問をこよなく愛した実時の意志は金沢北条氏三代に受け継がれ、集められた膨大な和漢の書籍は徳川家康や伊藤博文の興味も引いたという。
金沢文庫では丁度、「伊達政宗とみちのく文華」の特別展も開催されていて、鎌倉幕府の御家人である坂東武士から陸奥へと勢力を拡大した伊達氏を継いだ正宗の武具、経文や手紙等中世から近世への興味深い歴史資料を見る事が出来た。
文庫からトンネルを通り抜け称名寺の境内に入ると、色づき始めた紅葉を背景に復元された鎌倉時代随一の浄土庭園の朱塗りの橋の影が秋の日の池面に映えていた。
玉林美男さんには、鎌倉幕府の東の要衝である称名寺の庭園、鐘楼、金堂、釈迦堂、金沢北条氏の墓等の遺産としての重要性の解説をして頂いた。今回の実証見学では、鎌倉武家文化と、鎌倉の外港であった金沢六浦との朝夷奈切通を通しての密接な繋がりを再認識することが出来た。   (丸山)

 
 

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