平山郁夫会長ありがとう

身近に接したことは幸せ
22年前、発会式に出席した私にとって会長は遠い存在でした。
現役だった私にとってユネスコは、定年後の活動機関だったからです。その後、新年会などで記念写真に入っていただいたときの気軽さ、優しいまなざし、ユネスコとのかかわりのお話をお聞きし、また原爆の被爆で級友を大勢亡くしたことなどを直接聞いて、会長の平和への祈りとも言うべき、生き方に感動しました。
96年から4年間、理事長に就任して身近に接することが増えました。「中部東ブロック・ユネスコ活動研究大会」での、会長のご挨拶代読、「平山会長文化勲章受章の会」を「鎌倉ユネスコ創立10周年」と一緒に開催したことは忘れません。

国際シンポジウム66号で愛犬ハナちゃんと遊ぶ平山会長
会長の偉大さを示す例として「国際シンポジウム」あげます。
それは1998年4月21日、パシフィコ横浜・会議センターホールで「地球市民への道『文化遺産を守る平和へのネットワーク』」と題して開かれたシンポジウムで、平山会長はまさに主役でした。世界から集まった著名人たち、米国・スミソニアン研究機構長官,米国・フリーア美術館・サックラー美術館館長、英国・大英博物館館長、フランス・ギメ国立東洋美術館館長、ドイツ・ベルリン国立博物館・東洋美術館館長、の諸氏を一堂に集めてシンポジウムを開いたのです。
日本でこれだけの館長を集めてシンポジウムを開ける人は他にいるだろうかと考え、鎌倉ユネスコの幸せを深く感じたのです。
その後、バーミヤン遺跡救済アピールが各国の美術館館長連名でおこなわれたときも平山会長は中心でした。

会報の中から会長の姿を
鎌倉ユネスコの会報の中で平山会長は何回も登場して戴いております。
会報1号で「日本文化の源流」として「シルクロードの文化遺産を守ろう」と提唱。25号ではユネスコの事務局長マイヨール事務局長の来訪から、親善大使の他に、特別顧問受諾のことに触れております。32号は「ハーイこんにちは」に登場、朝鮮の高句麗古墳を世界遺産にするために具体的に機材を持ち込み、登録への条件整備をしている話を。44号では日本ユネスコ国内委員会会長の立場で、日ユ協連の中央委員会で「これからのユネスコ運動」と題して講演した要約を掲載。61号では2005年総会記念講演で高句麗古墳群の世界遺産登録にふれながら「日本の果たす役割りは文化による国際貢献で、これを国是にしたい」と述べられました。66号では「ハーイこんにちは」に再登場、永年にわたって<文化財赤十字構想>を提唱してきたことが実を結び、議員立法「海外文化遺産保護国際協力推進法」が可決したことを中心にインタビューさせていただきました。会長のご冥福をお祈りいたします。   (鴇澤)
山河凍つ平山画伯急逝し

−−平山会長「お別れの会」報告−−
式典は2月2日、ザ・プリンスパークタワー東京、山根基世氏司会にて、平山会長の79年の歩みの紹介、東京藝術大学音楽部の教授達によるハイドン「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」第2ソナタ(今日、あなたは私と共に楽園にいる)の献奏。弔辞へと展開。
弔辞は日本美術院理事長松尾敏男氏、東京藝術大学学長宮田亮平氏、前UNESCO事務局長松浦晃一郎氏。三人の皆さんは異口同音に平山会長の日本画家として、又UNESCO親善大使として世界各地での活動の成果を称賛。令夫人と二人三脚で百数十回シルクロードへの旅。松浦氏は平山会長の北朝鮮高句麗世界遺産での活動やアフガニスタンのバーミヤン大仏の破壊での献身的な働き等の感動的な実話を披露した。シルクロードをテーマに描いた絵から月と太陽と月の部分を拡大した平山会長の屏風の前で、会長の数々の業績に思いをはせながら、約2,600人がお別れの献花をした。文化財保護や教育活動、社会貢献に情熱を注いだ平山会長の“平和への祈り”の“心”は永遠に! 
(田村耕一郎)

 
 

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