ユネスコサロン
「糾える(あざなえる)人と自然の考古学」

大仏殿高徳院客殿で5月15日に開催した今回のユネスコサロンは、高徳院佐藤孝雄住職ご自身によるご講話ということもあって、百名近い会場一杯の参加者となった。慶應義塾大学教授でもあるお立場として、ご専門である動物考古学の分野の標記テーマを以下の通り拝聴した。
1.鎌倉の里山は、高徳院保管の明治大正の大仏様の写真背景のように、ほんの最近までマツが中心であったが、1950年頃からの燃料革命と化学肥料の普及で現在のように一変。たまたまその頃に、江の島植物園からタイワンリスが逃げ出す事件があり、マツの里山ではとうてい生き延びられなかったはずの外来種であるタイワンリスがそれ以来鎌倉に住みつくことになった。
2.知床を越冬地とするオオワシが1983年になって急にひと桁多い約2,000羽になったのは、近海のスケソウダラ漁が解禁となった(そのおこぼれでエサが増えた)時期と一致する。91年から98年にかけて減少したのは内陸部でエサが増えた(増えすぎたシカが大量に殺害された)ための移動、99年からまた増加したのは観光客目当てのオオワシ呼び寄せでエサが増えたことによる。
3.ニホンジカの体が弥生時代以降に小型化した一因も、日本各地に水田を構築するに至った人々の生活様式がシカの行動範囲を狭めたこと、に求められるかもしれない。
これらの事例は、人のいとなみ(営為)が自然界(動物)の変化といかに密接にかかわってきたか、を具体的に示している。
この度の動物考古学のお話を通して、ユネスコが目指している自然との共生問題に対し、ロングタームの視点を与えられたことは有意義であった。(石田)

 
 

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