ハーイ、こんにちは

鶴岡八幡宮 吉田 茂穂宮司

 

初めてお目にかかったのは、鶴岡八幡宮直会殿で開催された吉田堅冶展レセプショ鶴岡八幡宮 吉田茂穂宮司ン会場でのこと。

全ての人を暖かく包み込んでしまうその語り口は、雲上の人が降りて来て下さったような不思議な感覚でした。

そんな宮司に大銀杏のこと、大震災のことについてお伺い致しました。

「大銀杏の倒伏に当時を振り返って・・・衝撃でした。樹っているのが当たり前と思っていた大銀杏の天寿を全うしたその寝姿を見たとき、荘厳な感じがして離れられず一日中触り続けていました」と。

「一方では、大銀杏の倒れた姿を大勢の参拝者の目に触れさせたくない、覆い隠したいという複雑な思いでした。今、競うように伸びるヒコバエの生命力に驚き、多くの応援してくださった方々への感謝の気持ちでいっぱいです。再生に向けた樹木医の指導の下、ご神木として見守り子孫に繋げたい」と語る。

そんな大銀杏の再生祈願の1周年祭を終えたあくる日、未曾有の被害をもたらした東日本大震災・・・直後には緊急支援物資や復興を祈る千羽鶴を被災地へ届けるなどいち早く支援活動を開始。4月には、神道、仏教、キリスト教など宗派を超えて、鎌倉の宗教者が結集し犠牲者を追悼し復興祈願祭を執り行いました。また800年以上の永きにわたり歴史的繋がりをもつ奈良・東大寺と鶴岡八幡宮の合同祭事・法要は祈りの輪が広がっていくことを願って、被災地が復興するまで毎年続けていきたいと語る。鶴岡八幡宮の宮司として多忙を極める毎日がつづいています。

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代々神職にあった吉田家ではあったが、決して順風満帆ではなかった。小2から中学までは両親が病気がちだったため、食料の買出しから洗濯まで一人でこなしていたという。
やがて両親も回復に向かい、新聞記者になる夢を抱いて大学では経済を専攻。しかし「布施経済で育った身。お礼奉公という生き方がある」との父の言葉に神道を学び直す。
そして父のあとを継ぐべく神戸の「湊川神社」へという安易な考えはまたしても「奉仕先の神社は自分で見付けるよう」と・・・やがて文学好きの青年は小林秀雄に惹かれ宮仕えの場を鎌倉と定め、鎌倉八幡宮に一人空きが有ったという偶然が現在に至ると語る。宮司として今年で15年目。
今、鎌倉世界遺産登録推進協議会副会長としての顔も持つ宮司は「大銀杏が見続けた、かつて息づいていた人たちの感性・思いも後世に伝えることが出来れば」と、推進に向けて邁進している。
趣味は読書、音楽鑑賞と絵画。今年も、“ぼんぼりまつり”に素晴らしい絵をご奉納なさった。 (文:小倉寛子 写真:森井曠雄)

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