ユネスコサロン

香と日本人・・・香を焚きながら語る千四百年の物語

7月1日(日)鎌倉市福祉協議会において、上記サロンを開いた。講師は創業四百三十年、香りの専門店「銀座香十」の代表取締役、稲坂良弘氏。氏は昨年「香と日本人」(角川文庫)を出版し、注目を集めている。『日本は世界が驚くものを持っています。民族も言葉も国も違う人たちが私たち日本人に賞賛の声をあげたものがあります。~それは「香」の文化です。』香の文化を掘り起こし、香の伝道師として活躍する社長にお話を伺った。講師2名、会員22名、非会員26名 計50名のサロンでした。
香の専門家に転身したきっかけは、国連本部で「香道」の実演紹介に関わった事にあった。海外の人は想像以上に香に興味を持ち、反響は大きかった。氏は日本独自の伝統文化に改めて気付かされ、世界から高く評価されている香に感動し、この世界に入った。

日本の香の始まりは

「香」は六世紀の半ば、仏教の教えと共に日本へ伝えられた。古くから日本には水による「清め」の概念があったので香を焚いて穢れを清める思想は仏教の広がり以上に自然に受け入れられた。又、四季の変化に恵まれた日本の風土、特に湿度は繊細な香りを味わうには最適であった。

香りの塊 香木とは何か

最古の記録として日本書紀に「一本の香木が漂着し、焼べるとよい香りがした。聖徳太子は『沈香』という香木だと見抜いた」とある。香の原料となる香木は日本では全くとれない。「沈香」と言う香木は東南アジアの特定な地域に生育する木に傷がつき、バクテリアが入り、ユネスコサロン樹液と作用し、できた香りのする物質。木は水に浮かぶがこの塊は水に沈むことから、「沈香」と呼ばれる。最も希少価値があり最高の香りのものを「伽羅」と言う。ベトナムの特定場所で発見されたもののみを言い、金の10倍20倍の値段がする。有名な「白檀」は木そのものに香りがあり、芯の部分に50~80年かけて香りがつく。このような貴重な香木を日本は1400年に亘り大切に守り、文化を創造してきた。

世界が驚く香文化

飛鳥、奈良時代、香は仏に祈るために供える供香として用いられた。香木や生薬を刻み合わせて焚く「焼香」、香を粉末にした「抹香」手や体に塗る「塗香」は1400年現在も続いている用法である。平安時代になると貴族たちは香を化粧品にしたり、部屋を香りで満たす、今でいうルームフレグランスにして毎日香を用いた。このルームフレグランス用の香を「空薫物」と言う。薫物とは、種々の香を蜂蜜と梅の果肉などで練り合わせた練香を言う。仏教の道具だった香が一気に上流階級の人々の暮らしに浸透し、香りで自分を表現する感性は世界が驚く日本独自の文化である。

源氏物語を香で読み解く

五十四帖から成る日本最古の「源氏物語」を「色」と「香」の観点から読み解くと、隠れたドラマの伏線が浮かび上がる。百数十ケ所さまざまな場面に色と香が舞台装置となって登場する。原文を音読してほしい。紫式部が意図的に香を使っている事に気付く。

香りを身にまとう「香染」

源氏物語を手掛かりに「香染」の研究に取り組む佐藤幸香さん(染織作家で「香染」工房主宰者)が当日和服姿で話された。香染とは織り上げる前の絹糸そのものに香りを染み込ませる事で、丁子染は黒く錆びた色の丁子(クローブ)を水の中に入れ、古代絹の糸を浸しては干し、浸しては干す。これを何度も繰り返すことによって、絹糸は黄金色に輝き出す。この技法は家伝として伝承されたと考える。天皇や皇太子しか使えない色の香染もあると言う。佐藤さんは試行錯誤を繰り返し、独力で平安朝の香染の色を再現する。化学染料とは全く違う、深く奥行きのある色合いのショール等、いくつかを展示した。出席者は手に取り、匂いを嗅ぐが香りがない。「香りは温めたり、身にまとい放ちます。」香染の奥床しさを感じた。

まとめ

西洋を手本にして近代化を進めた日本は、日本独自の文化をどこかに置き忘れた。世界に誇る日本の美「香」この普及に真摯に取り組む二人のお話には、日本の伝統と美学を追及する力強い気概を感じた。講演の間、場内に焚かれた香は会員に安らぎとときめきをもたらし、しばし心を見つめる時間が流れた。
(梅ケ辻)

 

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