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「正しい戦争」が起こる前に介入せよ、上流で

今年1月早々に発生した悲惨なアルジェリア人質テロ事件、世界を震撼させた2001年9.11同時多発テロ、東西冷戦が終わって人類破滅的な世界大戦の危機は去ったと喜べば、今度は世界の色々な地域でこのような大小のテロとそれに対する戦いや、旧ユーゴ連邦に代表される民族間などの紛争が頻発してきたのが悲しい現実である。テロも紛争も人の命を戦いで奪うという点から一つの戦争とみなすことにすれば、なぜ一向に世界で戦争が絶えないのか?

“テロ”とは体制側の見方であり、テロリスト集団にとっては現状革命を目指す命を賭する戦い、民族紛争も戦う両方の側に自己正当化の言い分がある。かくして、それぞれにとって最後の手段として「正しい戦争」があるというスタンスで、平和的な手段による紛争解決に精一杯努めるのが国際政治のリアリズムであるとされている<『平和のリアリズム』(藤原帰一、岩波書店)>。

「正しい戦争」はあるのか?

「正しい戦争」と当事者が考える戦争の類型としては、歴史的には中世ヨーロッパの十字軍や現在も続くイスラーム教のジハードに代表される宗教的信念に基づく「聖戦」並びに祖国の防衛やその予防戦争などの正当な理由を根拠とする「正戦」がある。これらはいずれも個々の国家なり集団が自由に正当性を主張することに問題があるとして、現代においては国際社会が実定国際法または国際機関によって合法とみなす「合法戦争」が「正しい戦争」であるという見方が有力である<『「正しい戦争」という思想』(山内進編、勁草書房)>。

なによりも国連自体が、正当防衛である自衛権の行使<国連憲章第51条>に加えて、平和的手段を尽した後の安全保障理事会の決定による軍事的措置<同第42条>を「正しい戦争」として認めている。

しかし、ユネスコ精神に共鳴する私たちは、敵対する相手を無念の死に追いやり、その妻子、親を悲嘆のどん底に陥れる戦争に「正しい戦争」があると簡単には考えることができない。人間の理性が獣性に打ち克てることを信じたヒューマニズムの祖と呼ばれるデシデリウス・エルスムス<『平和の訴え』(箕輪三郎訳,岩波文庫)>や、人間の先験的な道徳的資質に信を置いたイマヌエル・カント<『永遠平和のために』(宇都宮芳明訳,岩波文庫)>の、人間性への絶大なる信頼に与する立場から、必ずや「正しい戦争」を回避する解決があると考えたいからである。

「介入せよ、上流で」

上記の国連による軍事的措置は、特定の国や集団による国連の視点から無法な暴力行使を国連の超暴力で抑え込む、すなわち2度の世界戦争を経て進化したとは言え、国際社会は力を力で制する文明化以前の段階に未だとどまっている<『国連システムを超えて』(最上敏樹、岩波書店)>。

一方で、「絶対平和主義」の立場にとっての難問は、国民の人権が日々、極度に抑圧されている国に対して、経済制裁等の平和的手段では人権抑圧を阻止できない事態における、最後の手段としての軍事介入の是非である。

それに対しては、フランスの月刊新聞のイグナチオ・ラモネ編集長が「介入せよ、上流で」と提言している<『人道的介入』(最上敏樹、岩波新書)>。その一番の上流はひとり一人の心の中であるという思いに至れば、「心の中に平和の砦を」をモットーとするユネスコこそ、このラモネの至言を具体的な行動に結びつける役割と責任があると考える。(石田喬也)

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