ひろば

今夏のバカンス~Aloha!!

長嶋 裕子

太平洋の真ん中の楽園、私たち夫婦の大好きなハワイに、今夏は北海道に暮らす長男家族と旅をした。二人の孫(小1と3歳半)にとっては初めての海外、何もかもすべてが新鮮!抜けるように澄んだ真っ青な海でチョウチョウ魚や海亀と一緒に泳いだり、無限に広がるパイナップル畑でほっぺが落ちるほどスイートなパイナップルをほうばったり、毎日が惜しいほどの速さで時間が過ぎていく中、彼らにとっての一番の体験は、ラグーンで泳ぐ世界中から訪れている子供たちと一緒だったこと、、、言葉の壁を越えて友達になれる喜びを味わえたこと~であったに違いない。孫たちの純粋に喜ぶ顔を見て、今夏の旅が期待以上に実のあるものになり、私達にとっても忘れられない旅となった。 私達大人の責任は大きい。子供達が生活できる世の中をキープしなければならない。私は鎌倉ユネスコの一員として、できうる限りの努力を惜しまず進んで行きたい。~‘Mahalo!~

アメリカでは人種差別は残っているのか

池上 雅之

8月、米国・ミズーリ州で黒人の少年が警官に射殺された事件をきっかけでデモや騒乱が続いています。数年前の話ですが、日本郵船の米国子会社所有するクリスタル・セレニティーという約8万トンの観光船でカリブ海からパナマ運河を通ってロスアンゼルスまでのクルーズを楽しみました。フロリダから船に乗って、乗客は我々を含めて30人ほどの東洋人のほかはすべて白人の乗客でした。 気を付けてみると船長以下、船員はすべて白人。空港、駅、ホテルなどで、あれほど目にした黒人とか、ヒスパニックの従業員の姿はまったく見られません。 1960年代に、全米に広がった公民権運動で、人種差別がなくなったと聞いておりましたが、資格が必要な船員にはなれないし、所得の低い黒人の中ではクルージングはまだなじまないと考えました。人種差別がなくなるまでにはまだまだ時間が必要でしょう。

「鎌倉への想い」

伊藤 新一

こんにちは、福島の伊藤新一です。鎌倉へは中学生の時、バスで鶴岡八幡宮、高徳院の大仏様へ修学旅行が始まりです。二十歳代では、車で由比ガ浜、材木座海岸へウィンドサーフィンなどで訪れました。しばらくして、一人で、横須賀線、江ノ電、湘南モノレール、乗合バスを利用し、自分の足で鎌倉を歩いた時、なにかが変わりました。歴史ある鎌倉の街、寺社、史跡、街並、季節ごとの花々、風の香り、海岸の空気に魅せられ、気がついたら、カメラを持ち鎌倉の街を、歩いている自分がありました。この頃、この鎌倉で、こんな私でも何かできないかと考え、鎌倉ユネスコに入会させて頂きました。春の訪れがちかい、2011年3月、東日本大震災が発生、道路、鉄道が断たれ、さらに福島では原発事故が起きました。当時は交通・原発・風評等で、福島は孤立してしまったと思いました。鎌倉をはじめ、各地の方々からの当時の近況を伺う電話、手紙、ありがとうございました。 二ヶ月後、私は鎌倉に行きました。久しぶりに、ホッとしました。鎌倉の街に、迎えられている、そんな気がしました。ずっとこんな鎌倉でいてほしい。そう思いました。復興中の自然たっぷり魅力ある福島もよろしくお願いします。

平和の使者インディラ

石渡 節子

最近世界では、民族間の争いが目立ちますが、そのような中で、ふと思いだすことがあります。 戦後しばらく上野動物園に象がいなくなり、東京の子ども達が「象を見たい」と新聞社に多くの手紙と絵を送りました。ネール首相の甥が帰国する際それらを託し、しばらくして子供たちの熱い願いが、ネール首相の心を動かし「材木をきちんと並べる一番賢い象をおくる。名前は娘のインディラと同じです」と吉田首相あてに、メッセージが届きました。芝浦港に着き、早速特別象列車で札幌から東日本各都市を行脚。戦争で疲弊していた人びとが大勢沿道に詰めかけ、万歳の歓声をあげたそうです。いまは上野国立科学博物館に骨格標本となり常設展示されています。

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