阿武隈山地で考えたこと

放射能除染の実態と原発事故の主因

常磐道が富岡町(東電福島第二原発所在地)まで開通したので、今年の帰郷は、この道を通ることにした。しかし、この先の大熊町・双葉町(福島第一原発所在地)を通る国道6号線には特別許可証がなければ入れないことが分かり、いわき市四倉から阿武隈山地に入り郡山に抜けて東北道に出る399号線・288号線を通ることにした。原発事故避難区域だった田村市都路地区が、4月1日から住民帰還が許可になり、道路沿いの各所で放射能除染作業が行われていた。道路際の草木を刈込み袋詰めにして野積みにするやり方で、これでは際限が無いし、除染効果も少ないのではないかと思った。野積みの袋をいつまでも、そのままにして置くことは出来ない筈。
「政府事故調査・検討委員会報告書核心解説」(講談社2013年4月)は、次のように明記している。「放射能物質は消すことができず、時間が経過して放射能がなくなるのを待つしかない。それをどこかに移動させようとすれば、必ず移動先で反対運動が起きて計画が立たない。だから放射性物質は、その場に埋めるしかない」。そして日本古来の火山灰処理「灰塚」方式を踏襲した「深穴埋め」が有効であるとしている。現在、除染の現場で、この方法がどの程度実施されているかは不明である。

原発事故の調査と検証は、政府のほかに国会、民間、東電、が行い、それぞれ報告書を公表している。2013年7月公表の政府事故調報告書は、全千五百ページあり容易には読めない。

日本経済新聞社を2010年6月に退職された塩谷喜雄氏が四つの報告書を読まれ“「原発事故報告書」の真実とウソ”(文春新書2013.2)を上梓された。塩谷氏の故郷は福島県南相馬市鹿島で、今は無人の地である。幼少時、阿武隈山地からの川で小魚を取り、土手で桑の実を頬張った記憶は鮮明であるとの事なので、童謡「ふるさと」はとても最後までは歌えないのではないだろうか。

ここで原発事故全般のことを考えてみたい。政府事故調報告書は、福島第一原発の炉心溶融・水素爆発・放射性物質の大量放出という過酷事故の主因は津波による全電源喪失としている。更に津波は高圧配電盤を全滅させたので、たとえ外部電源供給が復旧しても、ポンプ等原子炉冷却に必要な機器は動かせなかったことが致命傷だったとしている。

2014年7月になって原子力規制委員会は、原発事故の真の原因は、津波による電源喪失と配電盤浸水であるとし、国会事故調委員会報告書が主張する「地震の揺れによる可能性」を否定した。

なぜ主因は地震ではなく津波であるということに、これほどまでにこだわるのか。そもそも地震と津波は一体のものではないのか。

稼働後40年もたてば、あれほどの地震動に配管一つ破壊しない筈がないと考えるのが自然と思うのだが、それを認めない言い方である。

地震の一撃で主要配管などが破損したと断言することは出来ない。仮に後で破損が発見されたとしても、それは炉心溶融後、原子炉に穴があいたからだともいえるし、水素爆発の衝撃のせいだともいえる。津波は地震の後に来る。津波は防潮堤の嵩上げで防御できる。地震の発生は場所・規模ともに予測できない。最大震動値を想定し、耐震設計・施工をおこなう事しかできない。想定外の地震が起こりうることは判っていても、絶対的対策はない。

原発再稼働を強行し、2018年以降も日米原子力協定を更新し、使用済み核燃料再処理も含む原子力政策を続行させる為には、福島第一原発事故の原因は、地震の一撃が主因であったとは言えないのではないのか。それが正しいとは思えない。

2013年9月出版の「福島原発事故東電テレビ会議49時間の記録」を読みたどっていくと、吉田昌郎所長ら現場の対話の中に「1号機・3号機について、炉心に冷却水を注水しても炉水位があがらない、どこかで水が横抜けしている可能性が高いのではないか」という部分がある。

目の前に無尽蔵にある海水をポンプアップする段取りに手間取り、1号機の水素爆発は防げなかった。3号機も十分に注水できず水素爆発した。吉田所長は「水さえ入ればなんだってできるんですよ。そうなんですよ」と叫んでいる。地震の一撃で主要配管に破損があったかもしれないという判断が先立っていたら、総ての対応は根本的に違っていたのではないかという思いがする。(渡部研自)

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