東日本大震災支援

[2017年度] 民間ユネスコ運動 70 周年記念ユネスコ全国大会&被災地福島の旅

日 時 2017年7月15日(土)~17日(月)
場 所 -
参加者 18名

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福島訪問の報告

この大会を通して全国各地、様々な分野で民間ユネスコ運動が繰り広げられている様子を知る ことができた。大会中最も印象に残ったのは、高校生たちの発表である。
在住地域や産業の特徴を 調べたこと、ボランティア活動の体験をまとめたこと等を通して、将来彼らが自分の考え方をしっかりと育てて、何かの形で活動を継続されることを願っている。 大会終了後福島へ。
怒りの共有の連続だった。 小さな子どもを持つ NPO 「ソラマメの会」の母 親たちの実際の声は、他の自治体への避難と帰郷、 家族内の葛藤など…現在もなお、計り知れない不安を抱えている、それぞれ生活の事情が違う人た ちが暮らしているのだということを物語ってい た。
翌日は南相馬市から語り部、高村さんのガイドで富岡町、双葉町、浪江町等原発事故での最大 被害区域を回る。 30キロ圏内と圏外、避難解除 地域と解除不可の地域との間にある柵に触れる。
たしかに国政を預かる立場では、どこかでの線引 きはやむを得ない。
が、柵の上方は繋がっていて、 空は一つ。
この柵が、住民を経済的精神的に分断している政策の象徴のように思えた。
バスで通り 抜けた避難区域は、震災直後のまま荒れ果てた姿、 避難解除区域でも「 4年前に来た宮城や岩手みた いな復興状況だね」という車内での会員たちの声 を聴きながら、全盲の私はいろいろ想像した。
一 口に「原発は危険」と言っても、故郷に「帰りたいが帰れない。居続けたいが怖い。新たな生活基 盤が成り立たない。」等々。想像を超える 色々な事 の一端がここにきて 分かる 。
「福島の ことを忘れないでください。皆に伝えてください」 という高村さんの言葉に、私にも何かできること はあるだろうかと考える。皆に伝えること、そして、やはり原発には反対を主張し続けること。ど うしても福島の印象が残る旅だった。 (吉田重子)

2017年度 会報 No.43

[2016年度] ユネスコ映画村 in さっぽろ「小さき声のカノン」上映会

日 時 2017年2月25日(土)10 30 14 00
場 所 札幌エルプラザ3階ホール
参加者 観客数計270 名

福島に住み続けることを決めた家族の" 小さな声"を丹念に聞き取ったこのドキュメンタリー映画が、観客の皆さんの心の中に多くのことを持ち帰ってもらえたと、終了後の46枚ものアンケートを読み返しながら実感しました。
「胸が痛んだ 、涙が出た 」といった感想と同時に「なにも知らないでいた」「自分に何ができるかを考えるきっかけになった」「もっと多くの人に観てもらいたい」という感想は、私たちがこの上映会を企画するにあたっての目的「市民の皆さんとの被災地への思いの共有」が少しでも達成できたと感じさせてくれます 。
特筆すべきは、震災支援を続ける チェリスト の土田英順氏の言葉です。
「ありがとうございます。感動しました。今すぐ自分にできること。ユネスコ協会にささやかですが『じいたん子ども基金』から寄付させていただきます。あとはこれから考えます。保養の大切さ、必要性、いっそう理解が深まりました」とアンケートにお書きくださり、次の日に早速「ユネスコ協会就学支援奨学金」に10万円のご寄附がありました。
上映会のもう一つの目的でもあったこの奨学金への支援は、チケットの売り上げから397,240円の寄付ができましたことをご報告申し上げます。
また当日は17名のスタッフの見事な連携プレーで準備時間も少ない中、スムーズに活動できました。心より感謝申し上げます。
上映を通じ、原発事故によって日常がすっかり変わらざるを得なかった福島の人々の姿を知りました。(寺子屋プロジェクト 代表 中村康江)

無関心ではいられない

私には「裏切者」「逃げ足早い」などと陰口を言われながら福島から自主避難を続けている友人がいます。
彼女は美しい自然に惹かれ、川内村 原発から30キロ圏内を終の棲家と決め移り住んで間もなく、福島第一原発事故に遭遇しました。
全村民避難から、現在は住民への帰還が呼びかけられていますが、不安が払しょくされず、北海道に留まっています。
映画の二本松のお母さんたちは、二本松に留まることを選んだ人たちです。
「逃げるも地獄、残るも地獄」の心境だったと思います。
大変厳しい状況の 中で子どもたちのために頑張る姿には涙が出ます。
本当に何とかしてあげたいと思うのです。
チェルノブイリの子ども達同様「保養」の効果が紹介されています。
何日振りかで土に触れ、思いっきり外で遊べる保養は子どもたちにとってかけがえのない時間です。
保養に参加した子どもたちは明らかに元気になります。
私は北海道に保養に来る親子のお世話をしたいと思っています。
映画を見て福島の事故を忘れてはならない、風化させてはならないという思いをさらに強くしました。
この映画を一人でも多くの方に見ていただきたいと思い今回も多くの友人たちに声がけしました。
子どもたちの未来のために無関心ではいられない、大人たちが声を上げなければいけないと感じました。(堂前永子)

2016年度 会報 No.42

土田英順さんの支援

元札幌交響楽団首席チェロ奏者の土田英順さんは、東日本大震災発生直後より、各地で支援コンサートを継続され、3月末現在、346回の開催、来場者約25,000人、募金額は3,100 万円に上ります。
2014年11月、当会主催の外岡秀俊氏による講演会「わすれない、つなげよう」で素晴らしい演奏をお聞かせ下さったことも記憶に新しいと思います。
土田さんは福島の子どもたちの「保養」 の活動も支援されています。
今回の映画鑑賞がご縁となり、ユネスコ協会 就学支援奨学金に 10 万円のご寄付をいただきました。その 後 3月の支援分として 15 万円をお振込みいただきました。
詳細は下記のブログで逐一報告されています 。(普及 PR 委員長 國田裕子)

土田英順のボストンバックにチェロと酒
https://eijun1.blog.fc2.com/

2016年度 会報 No.42

[2013年度] 札幌ユネスコ協会東北ツアー

日 時 2013年7月6日-8日(土-月)
場 所 岩手大船渡・平泉
参加者 15名

[2013年度] 東北ツアー(寺子屋プロジェクト)

この一年半寺子屋プロジェクトで温めてきた、東北被災地を訪問する旅を15名の参加で実行できた。
厳しい状況をどのように感じたり受け止めたりできるだろうか。
少しためらう気持ちもあったが、知らなくてはとの思いが強く、参加者、関係各位のサポートで実り多い旅になった事に感謝したい。
1日目:今回改めて中尊寺を中心とする人々の平和への祈りの満ちた世界を感じることができ、ユネスコ精神の神髄を見る気がしたのは本当に大きな収穫であった。
2日目:釜石の復興商店街のおかみさんの話を聞き、復興はまだまだなのだなあと実感。午後からボランティアガイドさんの説明で細かく密度の濃い勉強をさせていただいた。
一番ショックだったのは「鵜住居」(うのすまい)という場所の防災センターの残骸の建物を訪ねた時だ。
もともと鵜住居という名前が昔からつけられていたくらいだから湿地帯で何度も津波や浸水の被害を受けてきたところである。
そんなところに「防災センター」があったのだ。ここでは3.11のつい3週間前に避難訓練をやったばかり。震災当日2階の天井までわずか15センチのところまで浸水。多くの人たちが犠牲になった。
宿は大槌町の宝来館。元従業員の伊藤さんの被災当時の携帯動画を見せてもらいながら話を聞く。実際の現場なので津波の恐ろしさが身に迫った。
先代の創業時代から津波に備えすぐ裏山に逃げ道ができていたのでその地区の人々は亡くなられなかったという。
一旦津波を抜け出たおかみさん、岩崎昭子さんが再び津波に襲われようとする村人たちを助けに海岸の方に向かった勇気にびっくりした。
今、この地域では「これ以上の防波堤は作らず、代わりに森林組合の人たちと林道を整備し、子ども達の遊び場を森の中に作っていく。」との考えの下、車いすでの避難道路までボランティアで整備されつつあったのには深い感銘を覚えた。
3日目:いよいよ大船渡へ。山口会長さん、佐々木前会長さんはじめ、大船渡ユネスコ協会の方々が6人で待っていて出迎えて下さった。仮説住宅や赤崎小学校、赤崎中学校の跡地などを見学。
赤崎中学校は2年後の建て替えを目指して20mほど高いところを造成中。
大変な事業だ。高台にある仮設の校舎では三浦校長先生が迎えてくださった。
沢山の子ども 達が心に傷を持っているのだが、「ともかく普通に、普通の当たり前の中学生活を送らせたい」強調されたことが印象深かった。
山小屋「寿限無亭」という景色のいい楽しい雰囲気いっぱいの場所で、大船渡の方々と一緒にお昼のお弁当をいただいた。大船渡ユネスコのみなさんの歓迎に心から感謝申し上げたい。やはりユネスコにつながっているということはそれだけでこんなに心通うものかと思った。 大船渡ユネスコの方々に別れを告げ仙台空港へ。
途中できるだけたくさん沿岸地方の実態を見たいと伝えていたので、特に地元の運転手さんが詳しい説明をいれながら、陸前高田市、気仙沼市、南三陸町を回って下さった。
話題になった一本松、最後まで「津波です。逃げて下さい」と女性職員が叫び続けたあの防災ビル、海から陸へながされるうち途中何軒もの家々をなぎ倒していった大きな船も陸地にそのまま残されていた。
埋立や嵩上げに使うがれきの山や土の山があちこちに見えたが、稼働しているブルドーザーも働いている人々も想像していたよりずっと少なかった。
鉄道の回復も途切れて、代替バスも不便だ。津波はトンネルを通り抜け先の町を襲ったという。
仮設住宅はまだあちこちに見られたし、ようやく始まった高台の公設住宅の家賃が高く、仮設のほうがまだいいという人たちもいたり、なかなか一律にいかないことが多いようだった。これが原発事故地域だともっともっと問題が複雑になっていることが頭をよぎる。 あの3・11から2年数か月、しかし復興とは何だろう。
人々が日常を取り戻すとは何だろう。家族がいて、仕事があって、毎日が平凡でも普通に送れることの有難さ、そのことを忘れないで、いつも東北の人々のことを、他人事と思わない自分でいたい、あんなに元気そうに私たちに接してくださった東北の人たち、ふとした瞬間、朝に、夜になみだの止まらない方々なのだと想像する。
この東北の地域に、どれ程、深い悲しみや絶望感、孤独を抱えている魂が存在することだろう。
振り返れば振り返るほど、重く、つらい旅、しかしながら、一方で、元気をもらい、楽しく友情あふれる本当にいい旅だったと思う。
そんな旅を、みんなで作り上げてくださって、ありがとうございました。これから何度もこの旅のことを思い出すことでしょうし、これからのユネスコの活動にもつなげていきたいと思います。 (2013.7.26)~参加者感想文より抜粋~寺子屋プロジェクト代表 横路 由美子

2013年度 会報 No.39

赤崎中学校からのお客様

札幌交響楽団コンサートマスターの大平まゆみさんと国際ソロプチミストア メリカ日本北リジョンの招きで、1月6日~8日、大船渡市立赤崎中学校2年 生女子7名と先生1名が札幌を訪問しました。
この企画には札幌ユネスコ協会 も協力し、バス代の支援を行いました。
一行は札幌観光や小樽観光を楽しみ、 7日には大平さんの記念コンサートに先立って Kitara の裏側や、リハーサルの 様子を見学しました。
生徒の皆さんには貴重な経験となった事でしょう。
8 日にはカレンダー市初日のかでる 2・7 を見学し、人の多さにビックリした 様子でした。
生徒たちは千歳空港でそれぞれ旅の感想を述べあいましたが、「カ レンダー市には驚いたが、こうやって得た資金で自分たちが皆さんに支援して いただいていることが分った。」と述べる生徒もいました。
これからも大船渡ユネスコ協会や、赤崎中学校との絆を深めて行けたらいいなと思います。(國田 裕子)

2013年度 会報 No.39

東北の子供たちへの思い

「カンボジア支援と共に東北のことを忘れない」と札ユの集りのたびに皆で話してきた。日ユが統括している奨学金や学校支援に協力するのは勿論のこと、具体的に東北のどこかのユ協と協力し合いたいと願ってきた。
3・11直後はとりあえず他団体とも連携しながら仙台ユ協や岩手県山田町轟木小学校等に、支援物資や図書、楽器など送ることができた。
又今年度からは、日ユの希望もあり岩手県大船渡ユ協と連携することとなり、大船渡ユ協が(株)日本テトラパックの援助を受けて出版した写真・文集“津波はいつかまた来る”(写真)を125冊購入、CGCグループでも300冊買っていただき、札幌の小中学校等で活用して貰うことにした。
また、津波で校舎を流され、夏にようやく高台に仮校舎が出来てそれまでバラバラだった生徒達が集まり授業を再開した赤崎中学校には大船渡ユ協を通じ、2回にわたり教育支援金を送った。
「生徒たちの励みになります」と三浦校長、大船渡ユ協より御礼のお手紙をいただいた。今後共、何らかの形で大船渡のユ協と交流を続けることができたらと思っている。(寺子屋プロジェクト 代表 横路 由美子)

2012年度 会報 No.38