青く煌めくシルクロードの国ウズベキスタン

総会特別講演

講師のご紹介

バヒリディノフ・マンスール氏
(写真は2頁中央を参照)佐藤美智子会長が講師の紹介をされた。発音が難しいため、特別講演講師マンスールさんで日本ウズベキスタン・シルクロード財団代表理事と紹介。1976年ウズベキスタン生まれ。1998年タシケント国立東洋大学歴史学国際関係史(日本語専門)を卒業。同年大統領府人財育成基金から日本へ派遣されました。2002年には慶應義塾大学の大学院法学研究科国際法修士課程を修了。2004―05年は、東京ロータリークラブから奨学金を贈られ、2008年には博士課程を修了。今年は教授から博士論文を書くように言われている、と。

講演要旨

私はウズベキスタンの仏教遺跡のある地域で生まれました。日本の仏教学者は40年前から来ており、私は子供のころから日本文学に関心を持ち特に俳句を読みました。丁度その頃、日本語学校ができ、日本語コースの第1期生として入学しました。大学を卒業して、日本でいうと国家公務員試験に合格して、日本に派遣されることになり、慶応の修士課程その後博士課程に入りました。

本日、「青く煌めく文化芸術、観光の国のウズベキスタン」というタイトルで、東西の文化が混ざるシルクロードの中継地、ウズベキスタンのご紹介をさせていただきます。

ウズベキスタンという国の名前は。ウズベク人の住む、スタン=state 国の意味です。国外観光客は年間200万人も訪れますが、日本人はそのうち2000人です。日本ではウズベキスタンの良さが理解されておりません。キーワードは「シルクロード」。ウズベキスタンとシルクロードが結びつけば、本日の目的は達成したと考えます。

アメリカのNASAの地球図を基に作った地図で話し始めました。

戦乱のシルクロード

紀元前329年、マケドニアのアレキサンダー大王。仏教文化、それよりも古いゾロアスター教、いろいろな宗教の混在の例として、アフガンの仏像の背後に天使が描かれていることなど興味深いことが次々と出てきました。

6~7世紀の興亡、ウマイア朝、アッバース朝―のイスラム教の進出、ターヒル朝、セルジューク朝、カラハン朝、西遼の時代。さらに歴史の出来事が次々と出てくる。

この時代の人物として世界的に有名な学者2名の紹介があった。一人はアル・フワーリズミー氏。780年ラズム生まれ。数学天文学など。(インド数学の表記法を扱った。もう一人はイブン・総会特別講演スィナー氏。980年アフシャナ生まれ。哲学、医学,科学の権威。アリストテレス哲学と新プラトン主義を結合した人であり「医学典範」をあらわしている。

1219~1220年、モンゴル軍の侵略、ジンギスハンの時代、更に1370~1507年 チムール帝国成立。(時間の関係で、政治の世界は15世紀まで)

チムール帝国が遺した文化

①天文学 ②建築 ③細密画
④アラビア書道 ⑤文学
世界遺産
①イチャン・カラ 1990年 ゾロアスターの生まれた土地
②ブハラ歴史地区 1993年
③シャフリサブス歴史地区 2000年 チムールが生まれた町。チムールの銅像。
④サマルカンド文化交差路 2001年 仏教、イスラム教スンニ派、ロシア正教等の教会がある。

主な産業

農業、特に綿花、古くからワイン,鉱工業(石油、金、ウラン、銅等)。
これからはアジアとヨーロッパを結ぶ新しいシルクロード、高速鉄道が期待されている。サマルカンドとタシケント間はスペイン製の高速列車が走っているが、これからも開発が期待される。

現代に入っての日本との関係

第2次世界大戦後、シベリアから約23,000人の日本人が送り込まれた。そのうち約800人は命を落としたが、彼らが完成工事にかかわったタシケントのナボイ劇場は地震に対してびくともしなかった。そんなことが縁で民間交流は続けられ、2002年1300本の桜の木がウズベキスタンに贈られた。今回の東北大震災に対して10万ドル寄付している。

講演で考えた事

講演を聞くうちに、四方を海で囲まれ海外からの文化を吸収して、日本独自の文化を育ててきた日本、しかし逆に日本から世界に文化として影響を与えることは少ない。世界でもまれにみる日本文化の中で育った我々と、シルクロードの中心地で戦いの攻防の中で明け暮れし、戦火の中で何度も立ち上がったウズベキスタンの民族の強さを想像した。

幸いなことに、日本との関係は良好。お互いの特徴を生かした交流を末永く行い、いつかはこのシルクロードの中心地に、私は訪問し自分の目で確かめたいという希望を持つことができた。 (光永)

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