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原発事故 帰還困難区域の陸前浜街道通過行

常磐自動車道が今年3月に全線開通したので、この道を北上し福島県富岡インターで下りて、国道6号線(陸前浜街道)に入り、東電福島第一原発事故による帰還困難区域に指定されている楢葉町・富岡町・大熊町・双葉町・浪江町・南相馬市を通って帰郷した。

市街地・住宅地など生活圏であった所、中心街は立ち入り禁止で、通過していく車のみがバイパスを通ることを許される。パトカー機動隊の人員輸送車などの前後を走る形になる。ガソリンスタンド・土建業者の店・駐車場などはすべて閉鎖・無人。民家は朽ち始めている。屋根の傷みが特に目立つ。二階の窓ガラスが割れて風雨が吹き込んでいる家もある。田畑は雑草・雑木が生い茂っている。除染土などを詰めた黒い袋が各所に積み重ねられている。

私は放射線専門家のアドバイスを受けた。①4年経過しているので殆どの放射線はガンマー線になっている。電磁波なので、車の車体も、あなた方の身体も貫通する.したがって、車内でも測定可能です。②車で通過する限りでは、現状問題はありません。脇道に入って迷子にならないこと、事故に巻き込まれて長く一か所に止まることのないよう注意すること。

現在、この区域で働いている人たちは、①東電第一原発の廃炉作業員、②同第二原発従業員、③防犯やゲート管理の警備員、④除染など復旧工事作業員、⑤汚染土などを保管する中間貯蔵施設関連の作業員などである。

この区域では、福島第一原発敷地内の放射線管理区域と同程度の空間放射線量の中で作業することもあると「毎日新聞5・12日付」は報じている。

第一原発は大熊町と双葉町にまたがり海ぎわに位置し浜街道は、その3キロmぐらい西を通っている。原発敷地と浜街道の間の土地、16平方キロmに汚染土等の中間貯蔵施設が建設されている。

原発敷地の約4倍に広さで、建設はこの2月から、汚染土の試験搬入は3月中旬から始まっている。あくまでも中間貯蔵で、最終処分は県外で行う事が法制化され、福島振興交付金(総額2500億円)の新設は決定済みだが、地権者(2000人強)との交渉は難行が予想され、地元自治体との安全協定は未締結である。

事故後4年たつ。廃炉作業は端緒についたばかりである。4月下旬、蛇型ロボットが一号機原子炉内に入り、内部の様子を撮影した。これらの作業を重ねて、核燃料残骸を炉外に、どうやって取り出すのかを検討し、その方法を決めることが、廃炉作業工程の焦点となる。それが出来なければ、更地にしての原発の新規建設はできない。NHKワールドニュースが3月27日、東電福島第一原発廃炉推進カンパニー社長・増田尚宏氏(事故時第二原発所長)との単独インタビュー内容を放送した。

要点①炉内の溶融燃料を30m上方から遠隔操作で取り除く必要があるが、そういった技術は持っておらず存在しない。②格納容器(全体に水を入れて)水棺にすることが可能かどうか、まだわからない。壊れた格納容器三基に、ひび割れや穴をいくつか見つけたが、それで全部かどうか判らない。③これは非常に大きなチャレンジだ。正直に言って、私はそれが可能だと云えない。でも不可能だとも言いたくない。教えてくれる教科書はない。私はステップごとに決定を下さねばならない。正直言って私が正しい決定をするということを約束できない。

鎌倉市生涯学習センター内「きららカフェ」に南相馬市小高区から避難してこられた阿部美由紀さんが勤務しておられます。お聞きしたことを記します。「私は行政の気持ちがわからない。それがつらい。まず気持ちが大事だと思います。私たちに伝わる気持ちが全く感じられない。あれから四年たちます。この四年間は私にとってなんだったのだろうと思います。不思議な時間でした。2011年3月11日の大震災の日の、何か月も前から震度4ぐらいの地震はありました。雷は鳴り稲妻も走りました。津波が来て常磐線小高駅は流されて無くなりました。その前の日私はその時間に駅にいました。当日、もしも前日と同じ生活パターンを取っていたら私は死んでいました。なんにもない光景でした。私はこの荒れた光景はしっかりと見ておかなければならないと思いました。3月14日原発の2回目の爆発音を聞きました。緊急避難でした。この地区は出ることも入ることもできなくなるというので避難したのです。鎌倉は母が高徳院の近くに住んでいたことがあるという縁です。福島県内の仮設住宅に避難しなかった人には、家電品は支給できないといわれましたが、体を張って頑張って何度もお願いして、支給してもらいました。住民票は福島に置いたままです。東電からは8万円/人・月の慰謝料がでています。」(渡部研自)

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