日本の恩人と法句経

広げよう平和の心

高徳院境内(大仏尊像に向かって左手回廊裏)にジャヤワルデネ大統領の顕彰碑が立っております。今回はその碑について書いてみましょう。その碑にはジャヤワルデネ大統領のご尊顔のレジャヤワルデネ大統領のご尊顔のレリーフリーフとその下に日本語、スリランカ語、英語で次の言葉が書かれています。

“人はただ愛によってのみ憎しみを越えられる。人は憎しみによっては憎しみを越えられない。法句経五”この碑が建立されて除幕式が行われたのは、今から25年前、1991年4月28日の事でした。 日本が昨年、戦後70周年を平和裡に迎えられましたのも元をただせば、このジャヤワルデネ元スリランカ大統領のお蔭様と言えましょう。それ故に、この顕彰碑の意義、ジャヤワルデネ大統領の事を、より多くの日本人に知っていただき、改めて平和について考えてみたいと思うのです。

それは1951年(昭和26年)9月4日に開幕し、9月8日に調印式が行われたサンフランシスコ対日講和会議であり講和条約締結のことであります。そのとき参加した52ケ国の出席国のうち、ソ連、チェコ、ポーランドの3ケ国を除く49ケ国が調印して、翌1992年(昭和27年)4月28日に発効したものであります。

この講和会議で一部の戦勝国が強固に主張した日本分割論を斥けて「完全に自由な独立国日本の復活が世界平和に必要である」ことを、古いブッダの教説(法句経)の聖句を引用しながら、日本擁護論を説いて、この会議の立役者に躍り出たのが、小さな国の全権代表として出席していたセイロンの当時大蔵大臣であったジュニス・リチャード・ジャヤワルデネ閣下だったのです。閣下は、1978年(昭和53年)2月4日にスリランカ民主社会主義共和国大統領に就任されたのですが、この顕彰碑は大統領ご退任にあたって、永年大統領とご親交の深かったアジア文化交流協会の上坂元一人氏によって発案されたもので、彼の並々ならぬ情熱とご努力によって実現したものであります。

企画から2年間を要して完成した碑の除幕式は晴天に恵まれ、83歳の大統領ご夫妻をお迎えして盛大に挙行されました。

尚、この碑の背面に顕彰誌をお書き下さったのは、今は亡き高名な仏教学者(東大名誉教授・東方学院々長)の中村元博士でありました。その顕彰誌には、建立の意義に続いて大統領を称えて心からなる感謝と報恩の意を表す為に建てられたと記され、また大統領が引用された表記碑文のブッダの言葉について、そのパーリ語原文に即した経典の完訳は「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である」(『ダンマパダ』五)と解説され、また最後に「今、除幕式の行われるこの石碑は、21世紀の日本を創り担う若い世代に贈る慈悲と共生の理想を示す碑でもあります。

この原点から新しい平和な世界が生まれ出ることを確信します」と記されています。

除幕式終了後、鶴ケ岡会館にて大統領の歓迎パーティーが催されたのでしたが、その時大統領は感謝のご挨拶の中で、当時大蔵大臣だった氏が、首相の命令によってロンドン行きをキャンセル、講和条約会議に出席したことを述べ、「私は日本人が好きで尊敬していた。日本人はスリランカと同じアジアの人類。当時最も必要な人類であった」と語り、また会議出席前に戦後の荒廃した日本を訪ね、鎌倉大仏に参詣した際、「仏像を見て日本の人々を助けるべきだと思った」と仏教徒としての心情を語られたのでした。

その席上、最後に住職から大仏のミニチュア像が贈られて華やかに祝宴は閉じられたのでしたが、ここ高徳院の境内に碑が建立されることになったのも計り知れない深いご仏縁があったのでございましょう。中東で起こっている紛争など、憎しみの連鎖が数々の悲劇を生んでいる今こそ、この法句経の言葉が世界中の人の心の中に浸透してほしいものだと願わずにはおれません、それこそが心の中に平和の砦を築くことになるのだと思うのです。

民間ユネスコ運動「70周年運動方針のビジョンとして、本年かかげた「広げよう平和の心」の根本は“赦す愛”。ジャヤワルデネ大統領が引用した法句経五に他なりません。(佐藤美智子)

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