ひろば

熊さんからのメッセージ     大森 英孝

鎌倉ユネスコの皆さん、初めまして!北海道に住んでいる関係上、会の行事になかなか参加できず申し訳なく思って います。入会のきっかけは数年前のブラジル・スタディツアーです。人並以上の体格と体力を見込まれ同行させて頂きました。役に立ったかどうかは極めてギモン?ではありますが、なんとか足手まといにならないで帰国できました。よかった、よかった。お役に立てる場面は限られていますが何とか皆さんのお役にたちたいと考えていますので、声をかけてください。よろしくお願いします。

 

寺子屋運動の話      上田 満喜

鎌倉ユネスコの講演会で、中学生達が部活や文化祭でお金を集めて運動に協力していることを知り懸命さに感動して、 涙しました。講師の方の現地での話も御苦労が多い大変な仕事と理解し、現地の子供達の顔や生活を思い浮かべ、生活状態が豊かでないと思われる中でも、けなげに生活している姿や、喜びが伝わり、希望される物を少しでも多く送る為に、私も自分の出来る範囲で協力できたらと思い返した一日でした。

 

結婚記念日の献血      佐藤 恵子

先日久し振りに献血をした時の事であ る。後ろのベッドから若い男の子の話し声、「実はいま、2人で婚姻届を出して来たところなんですよ。」「エッそうなの。それはお目出度う!」そこに居合わせた人達から一斉に「お目出度う」コールがあがった。 「自分達の今の幸福な気持ちを誰かに分けてあげたくて・・・。」「たまたま献血車を見かけたから・・・。」とは言っていたが、例え車を見かけても「じゃあ」と行動に移す人は少ないと思う。 あの日のカップルさん、末永くお幸せに!

 

“悪人生活”もう10年      鵜飼 典三

「卒業してから35年。50歳の節目ですので同窓会をと立案実施したのが今日の集いです。次回は10年後、還暦とします。みんなもそうですが特に先生、“悪人”でいらして下さい。これで閉会とします。」 爆笑、拍手、ひとりひとりと握手を交わし退場する頭の中に、次の文言が浮かんでその侭になった。 「よく聞け。俺より先に絶対死ぬな。善人は早く死ぬ。だから、必ずそうなる。さあ元気に出発!!」 彼等の卒業式後の最後のホームルー ムで私が口にした別れの言葉だった。(鵜飼さんは元高校教師 注:編集部)

 

歴史の碑      中島 裕子

市内を散策すると石造りの史跡表示板を目にする。小町大路には「日蓮上人辻説法跡」と「土佐坊昌俊邸跡」、狭い道には「若宮大路幕府舊蹟」、鳥居の下には「段葛」と、何れも高さ2m幅1mほどの一枚石でできている。説明文は物語のように面白い。弁慶達に殺された土佐坊昌俊はこんな所に住んでいたのかと親愛の情が湧いてくる。 これらは大正7年から昭和11年にかけて鎌倉町青年団によって建てられたものである。当時の青年達の文化財への思い入れに感謝したいと思った。

 

ノーベル賞受賞に思う      山崎 泰弘

廃坑の地下で地球の裏側へさえ容易に通り抜ける宇宙からの超光線を捕える実験・・もう十数年前の対談記事で読み素人の他愛ない空想を楽しんで来た。小柴昌俊博士がノーベル物理学賞を受賞、門外漢ながらうれしくなった。島津製作所の田中耕一さんが化学賞。日本十大発明家を創業者とする社風から出るべき人が世に出たとも思われる。自ら一介のエンジニアだと声高く言われた人柄が一層喝采を受けた。拉致、核、テロ、大不況と重い話題が日々次ぐ中で前途に光明と希望を与えられ、勇気づけられた。 

鎌倉ユネスコの活動

お問い合わせ

ご入会方法

賛助法人会員

会員専用

プレス情報

Home