定例総会特別講演“エヴォラ屏風の世界”

講師は伊藤玄二郎氏

5月19日(日)鎌倉芸術館で鎌倉ユネスコ協会総会の第2部として特別講演があった。講師は伊藤玄二郎氏(関東学院大学教授・鎌倉ペンクラブ会長・かまくら春秋社代表)

講師が修復したエヴォラ屏風について、ご自分が登場する「テレビ朝日」の番組の映像を交えて、講師の伊藤玄二郎氏表題の講演をしていただいた。

この通称屏風を初めて見た日本人は1902年村上直次郎博士。講師は学生時代、1964年に船でイギリスへ向う途次、ポルトガルのリスボンの地を踏んでいるが「エヴォラ屏風」を実際に目にしたのは1990年である。その折に南蛮屏風と思われる下張りの古文書のあまりにも状態の悪いことに危機感をもった。

1997年愛知万博誘致活動のため、リスボンの居候先の先輩後輩の関係の小渕恵三氏(後の総理)とリスボンに行った。その折「エヴォラ屏風」の下張文書の状態が極めて劣悪なことを小渕氏に話をした。小渕氏やJTの協力を得て急遽、修復のプロジェクトを立ち上げ、京都国立博物館で修復されることになった。修復作業をした下張りに使われた反古紙の中には重要な古文書が含まれている。「日本のカテキズム」と言われる文書はキリスト教の布教に赴いたポルトガルの宣教師たちの日本人に対する感想、特に仏門に在る人に対する痛烈な批判等があって面白い。また「論語」の写本、秀吉の右筆安威了佐の文書、松任町の総代の手紙、さらにイエズス会の古文書等が見つかっている。世界に数少ないルイス・フロイスの手紙の29番目が反古紙の中にあったことも貴重な発見である。

信長、秀吉の時代(1582年以降)当時のポルトガルの宣教師たちの多くは、リスボンの東100キロに位置するエヴォラのイエズス会の神学校で学んでいる。当時はこのエヴォラがキリスト教の中心的存在であったからだ。この町の多くの建造物は、いま世界遺産に登録されている。

日本から遣欧使として天正年間海を渡った有能な4名の少年たちもここで学んだ。日本でも数少ない狩野派絵師による南蛮屏風の一つが海を遠く離れたこのエヴォラに在ることもこうした背景から頷ける。それにしても長崎から歓呼の声で送られ 時の法王にも謁見が許された少年たちが8年後に帰国した時、日本国内はキリスト教弾圧に急変し、彼等の未来に暗い影が差したことは悲しい。 

2000年に京都での修復が終わり、エヴォラ屏風の下張文書はポルトガルに返された。2004年これらの国際文化交流の活動に対して講師はポルトガルから勲章を受けている。日本とポルトガルの関係は歴史的にも古くて深い。お互いが相手の文化を愛し大切にすることは正に「ユネスコの精神」ではないか、と伊藤玄二郎氏は結んだ。(光永)

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