鎌倉高徳院 金剛力士像修復を終えて

2014年定例総会特別講演

修復を通じて見えたもの

2014年度鎌倉ユネスコ協会 第26回定例総会の記念講演の講師として瀧本光國講師を務めた瀧本光國氏氏(彫刻家・仏像修復家}を招き、主題の講演をしていただいた。

この金剛力士像修復の依頼は、2011年に受ける。この年は、東日本大地震があり、佐藤会長のお言葉では「その節 心配でつぶさに点検したら、その段階で想像以上に本像が劣化しているのに驚き補修を依頼した」とある。

この金剛力士像は、1742年(寛保2年)の制作で、270年余の間に何回かの修復が繰り返され、銘札で記録に残っているのは1903年(明治36年)と1954年(昭和29年)、そして今回である。

木造彫刻にとって仁王門の環境は厳しく傷みやすい状態であったことは否めない。天衣や躰幹部の部材はその多くが緩み脱落の危険があったし彩色の殆ども浮き上がっていた。山門からの搬出の段階で既に胡粉や膠が剥がれて泥地が表面に向き出ている有様だった。

修復の工程

1.修復前の写真 通常のスチール写真に加え3D撮影を行いよりリアルな立体映像を試みた。

2.法量の測定 この結果 阿形244㎝(身長)196㎏(体重)吽形242㎝ 187㎏と解った。

3.彩色の除去 分厚く塗っているので竹箆を主とする器具で除去した。

4.解体 部材は2体がそれぞれ200個位でしかもその組み立て方は複雑であった。頭部は前、阿形中、後部の3面で作られ胴体に挿し込む型になっていた。目は玉眼で面部の背面から押しこみ真綿と支え棒で固着した状態であった。また体幹部や脚部が上下に切り離されていることなどは修理前には考えてもいなかった。

5.補修、新補 割れの部分は 生漆と小麦粉を混ぜた糊状の「こくそ漆」で埋めた。今回は目には<水晶>を使った。補修は旧来の桂を使ったが、補強部分はヒノキ材を使用した。

6.組立て 前述のように腰、右ひざの部分が或る時期に切断されていたため組み立てに際してはホゾを使って補強し、脚部は心棒を入れて補強した。

7.彩色仕上げ 仁王門も彩色することになったのでそれに合わせ仁王像も彩色した。素材としては当初は樹脂も考えたが検討の結果<漆>と併用で行った。下地はさび漆としその上にベンガラ(弁柄)を塗り仕上げは<漆>で上塗りした。これまでの工程は2体にバラつきが出ないよう並行して行った。

8.山内安置 搬出の時と同じく移動にはチェ―ンブロックを使用した。

私の感想

すべての工程を終了したのは今年2014年3月と伺う。作品が江戸中期の制作であり解体に当たっては並々ならぬ不安と期待があったと思う。解体、修復の前に諸々の技術を集約した写真撮影のためわ吽形ざわざ横浜まで仁王像2体を運んだと聞く。この過程なしでは今回の修復は成しえなかったかもしれない。改めて瀧本氏ほかこの作業に携わった皆さんのご苦労を思う。また何十年後の次なる修復の時に2014年の銘札が その時の修復に当たる人々に大きな感動と指針を与えることは間違いない。

先日 私は長谷に赴き補修後の仁王像を直接拝見した。過去何回となくこの仁王門を潜っているのに殆ど見ていなかった自分に気がつく。私を含め多くの人が間もなく目の前に広がるであろう巨大で余りにも有名な「鎌倉大仏」に気を取られながらこの門を潜っていた為だったから、と弁解したくなる。ただこの度は新しく彩色され遠くからでも目立つようになった仁王像にカメラを向ける人たちが多かったのは嬉しい。

これに、「説明看板」が加われば・・とも考えた。   (光永)

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