No.205-5

アンサンブル ムツヘタを聴いて (その二)                                                 多川紫織(目黒ユネスコ会員)

 圧倒的な声量と長い伝統の持つ荘厳な響き。あっという間にアンサンブルの魅力に引き込まれてしまいました。私達多くの日本人は、「グルジア」という国名を普段あまり聞くこともなく、あっても「黒海のそばのヨーグルトの国」といった程度の認識ではないでしょうか。しかしその遠い小さな国に、微妙な位置関係による複雑な歴史、そして東西文化の混合によって、独特の深い伝統文化が存在するということを、私を含め今までどれだけの人達が考えたことでしょうか。
 世界各地に存在する多重声合唱ですが、このアンサンブルの完成された美しい響きを聴きながら、この国の長い歴史と重み、多くのグルジア人の持っているはずの国を愛する心と、自国の文化に対する強いプライドを意識させられました。                         
 今日本でも世界でも新しい物が次々に生み出され、それをもてはやす事が多い傾向がありますが、世界中の無数の人達が受け継いできた、あらゆる文化や伝統に対しても同じ様に大切に扱われる事を望みます。
 急な開催でしたが、それでも百人を優に超える方々と共に、短い演奏時間でしたが大きな感動と新しい文化に出会った喜びを分かち合いました。
             
閉会の後に
会場の感動は更に続きました。開催時刻が正午であったために、終了後、五本木小学校のランチルームをお借りして昼食を召し上がって頂きました。食後、お別れにもう一曲歌いましょうとの言葉。会長はじめわずかな関係者のため、しかし、それはランチルームが、あたかも神聖なカテドラルになったかと思うほど、部屋一杯に響き渡る、それは神々しいほどの天使の合唱でした。短い時間、大きな文化交流がありました。

(※1) 一行はこの夜、翌朝の帰国を前に、なんと、成田ユネスコ協会のご協力で、もう一度、成田山新勝寺で演奏会をしました。子安さんは成田ユネスコ協会員でこのときの感動を書き送って下さったものです。
写真:演奏風景は芸術文化活動委員会、望月 昇氏撮影 右は一行のサイン色紙

 この演奏会が急遽実現したのは、「世界伝統芸能フェスティバル」でグルジアの通訳・翻訳をされた富樫優子さん(ブルガリア、グルジア等東欧文化研究家)と(社)全日本郷土芸能協会、そして富樫さんの友人の当協会濱田靖子さん(ヴィザンチン美術家)のご尽力によります。開催可能が分かったのがわずか10日ほど前。五本木小学校・古川校長先生は喜んで体育館を開放して下さいました。チラシも沢山作り手分けして配布し、ホームページでも即刻PRしましたが、お知らせが行き届かなかったのがとても残念です。当日のビデオ録画と美しい録音がありますので事務局でご覧になることが出来ます。

ユネスコ活動・ふたりの識者を迎えて

2月5日6時から当協会事務局に服部英二氏と山下邦明氏の両氏を迎えてユネスコに関する情報交換が行われた。
 服部氏といえば皆さんご存知、当協会顧問。パリ・ユネスコ本部で21年間にわたり活躍され、なかでもシルクロード探査では大きな業績を残された方。リトリートには何度も参加されておられる。山下氏も同じくパリ本部の青少年・スポーツ部では世界中の青年NGOへの支援や助言活動、共同事業の実施などを担当。又、対外関係・協力局在任中はユネスコ加盟国にあるユネスコ国内委員会、民間ユネスコクラブ、協会やユネスコ国会議員連盟などとの連絡調整の窓口業務、そして民間企業とのパートナーシップ事業の立案や実施なども担当された。昨年帰国、現在九州大学大学院言語文化研究院教授に就任されておられる。帰国の目的は国際舞台での活躍を希望する青年の後押しすることと仰しゃる。若き日に当協会で青年部長をされていた方でもある。
 話題はパリ本部の現状から、世界中の民間ユネスコ協会の連絡調整を務める世界連盟の話、中でも世界ユネスコ協会クラブ・センター連盟(WFUCA)の再構築のために服部氏が大きな責任を担われていること、山下氏は「ユネスコ協同学校」について貴重な経験と資料をお持ちで、五本木小学校が昨年、文科省からユネスコ協同学校に指定されたことでもあり、大変有益なアドバイスが得られることとなった。
目黒ユネスコ協会が50周年を迎えるに当たり、新しい視点からユネスコ活動を見直す事も含め、談論風発、3時間があっという間の貴重な夕べであった。        記:奥沢広報委員長
写真前列中央左:服部氏・右山下氏、両氏をはさんで加藤会長と田島顧問

次ページへ