日光ユネスコ協会設立総会記念講演

「ユネスコ活動とわたしたち」4

〜活気あるボランティア活動の原点とは〜

 

4. 地域の中に世界につながるものがある

先程のご挨拶の中でチョット気になったのは「難しいけれども」とか「大変だけれども」という言葉が3回出たんですね。

「ん?ちょっと違うんじゃない。」と私は思っています。

ユネスコ民間活動はちっとも難しくも大変でもないんです。

私は鎌倉の地元でユネスコ活動をやっていますが、楽しいからやっています。

楽しくなかったらいつでも辞められるんです。

それがボランティア活動ですよね。

例えば鎌倉ユネスコ協会は皆さんと同じ若い協会です。

発足してやっと10年、全国の協会では創立50周年を祝ったところがたくさんあります。

50周年と言うことは50歳ですね。

日光ユネスコ協会は生まれたてほやほやで素晴らしい。

そのことってすごく大事なことです。

鎌倉ユネスコ協会は注目されて良い活動をやっていると言われますが、それは若いからなんです。

私は世界遺産と識字の支援に関わっていますが、鎌倉ユネスコの識字支援は1年に1回のバザーです。

その収益は最初は15万円位でしたが去年10回目は150万円位で、これまでいろいろな所に支援金を送ってきましたが、ここ3年位は貯めてきました。

パラパラ送っても効果がないので、今年10周年だったのでそれを3月にまとめて300万円をブラジルとカンボジアに送りました。

それまでに支援していた一つにカンボジアがあります。

ご承知のようにカンボジアはポルポト政権下の虐殺でほとんどの知識層が殺され、素晴らしい文化が失われてしまった。

そこでユネスコが識字教育、寺子屋運動を進めたんです。

いくつかのプロジェクトの中で鎌倉が支援したのはユネスコシルクスクールです。

ポルポト内戦中、視界を良くするため、燃料のために桑畑を刈ってしまって見渡す限りの平原になってしまった。

それに昔素晴らしいクメール絣(かすり)を織っていた技術者がみんな殺されてしまっている。

たった一人生き残った人間国宝とも言える織り手の芸術学校の先生をしていた方を見つけてきて、地雷で足を失った、お父さんを失った、夫を失ったという女の人を集め、クメール絣復興のための研修所を作ったんです。

ところが先生が教える時にみんな字が分からない。

そこで文字を教える識字教室も併設しました。

そこを鎌倉ユネスコは支援の対象にしたんです。

そこで1年習った生徒の卒業作品がここにお持ちしたこの作品です。

ようやくこれほど細かい素晴らしいものまで織れるようになったんです。

まだカンボジアでは生糸を生産できません。

生糸はベトナムから非常に高い価格で買いそれで織っているんです。

これはカンボジアで2万円くらいします。

高くて一般の人たちは買えません。

それで糸を売りつけに来たベトナムやタイの人たちが出来上がったものを買い叩いて持っていくんです。

これを作るのに3ヵ月かかるので、それに見合った正当な価格で売れるとうれしいということで、私どもは取り寄せてバザーで売るわけなんです。

むこうの言い値で買い値切らないことを私達の基本にしています。

2万円で買い取って鎌倉ユネスコの新年オークションにかけたんです。私は絶対欲しかったので、「1万8000円」と声をかけました。

すると「1万9000円」と言うんですね。

「2万円」と言えば「2万3000円」と言うんですね。

誰が私と競争しているんだろうと、ちょっと振り向きましたら、平山郁夫さんの奥さんだったんです。

私は降りて、平山夫人がお買い上げになったんです。

その後、平山夫人がいらして「尾花さんなんであんなに欲しがっていらっしゃったの。」とおっしゃるので、「実は、鎌倉ユネスコが支援している先の生徒さん達が織った織物なので、あちこちに私が行ったときにご紹介したかったので欲しかったんです。」と言いましたら「じゃあ、あげるわ。」と。

「わあうれしい、じゃあこれは鎌倉ユネスコの財産にさせていただきます。」と戴いたわけなんです。

その晩、平山夫人からお電話がありました。

「尾花さん明日ひまだったら家まで来て。見ていただきたいものがあるのよ。」と。

次の日うかがったら平山さんのお座敷には素晴らしい、皆さんから見て右側にあるこれと同じようなものが10点位パアッーと広げてあったんです。

ご承知のように平山夫人は東南アジアの絣織りの研究家として有名で、コレクションされていらっしゃるんです。

インド、セネガル、インドネシアやいろいろな所の絣を集めていらっしゃる。

「ここにあるのはカンボジアの100年前の織物です。尾花さんは昨日差し上げたのを持って全国の方々にクメールの伝統絣が復興したとお見せになると言ってたけれど、実はね、ほんとうの伝統絣はこっちなのよ。どれでもよいから1枚お取りなさい。」とおっしゃるんです。

中で一番素敵なのを選ばせていただきまして戴いたのが今日の右側のこれです。

「戦争というのはいかにいけないかと、こんなに素晴らしい織りの技術を持っていたクメール民族が今この程度のものしか織れなくなってしまっている。みんな戦争のせいなんだ。」というメッセージを皆さんに伝えていただきたいと夫人はおっしゃるんですね。

私はこれを鎌倉ユネスコとして戴きました。

後日、日本ユネスコ連盟の事務局長の吉岡さんが家に見えた時、こういう理由だったのよと言いましたら、彼びっくりしましてね「これいくらだか知っていますか。実はこれは僕が平山先生ご夫妻にお供してタイに行った時にバンコクのオリエンタルホテルの骨董屋で夫人がお買い上げになったもので百万円でした。」と言うのです。

カンボジアではこういう骨董にあたるようなクメール絣は今は一点もないそうです。

みんな周辺のよりリッチな国の人が来て買い占めて骨董店で高く売るのだそうです。

そういう散逸を防ぐために平山夫人はお買いになったわけなんです。

私はそんな素晴らしい物を皆さんに触って、見ていただきたい。

柔らかさが段違いな事、それから織り目の細かさ、女性の方ならよく分かると思うんです。

 

鎌倉ユネスコのカンボジア支援は今年で一応終えました。

私達はこれから世界遺産に指定された辺地で識字教室を開いている寺子屋を支援していこうと思い、昨年ペルーへ行ってきました。

アンデスの山麓にある世界遺産に指定されているワスカランという所に先住民族ケチュアの人々が住んでいます。

その地域で貧しくて学校にいけない子供たちの為に森林保護官が小さな学校をユネスコ寺子屋運動の支援で作りました。

その学校に教材を持って届けてきました。

来年はブラジルのセラ・ダ・カピバラという世界遺産に指定されている所に支援に行きたいと思っています。

ここは継続支援していますが8千年前の岩絵が見渡す限りの岩壁に彫られているんです。

考古学者のギドンさんが子供達の為に識字教室を開いて、その子供達の自立の為に岩絵の模様を模した陶器を作っています。

私たちはそれを仕入れてバザーで売っています。

 

ところで、こういう国際的な支援は決して外に目を向けるだけじゃないんですね。

去年ペルーに行く時に市内の中学校の皆さんに「不要になった教材があったら出してください」と呼びかけたんです。

ペルー側から顕微鏡、地球儀、時計が欲しいとリクエストがありました。

そうしましたら、実に300キロの学用品が集まりました。

その時、ボランティアの生徒たちが「集まったボールペンが書けるかどうかをテストしてから箱に移しました。出ないのにあたったらかわいそうだもんね。」とみんな優しんですね。

「やりたい気持ちはあるんだけれどもどうしていいか分からなかった。」と。

そういう気持ちに橋渡しするのも私たちユネスコの仕事の一つではないかと思うのです。

帰って、向こうの子供達が書いた絵を学校に届けました。

そうしましたら、今年の卒業式に校長先生のお話にも、生徒代表の答辞にも「自分達がペルーの人たちの役に立つことができてよかった。」という言葉があったというんですね。

 

私たちのボランティア活動は決して難しくなく、楽しいんです。

ボランティア活動の定義はいろいろ言われていますが、一つは鶴見良行さんの「戦う人、解放の人、喜びの人、それがボランティア活動だ。」これは高い次元の定義です。

私の好きな定義は上野千鶴子さんが「好きな人がやればいい、好きな人はやりたくない人を無理に誘うな、その代わりやりたくないひとは、好きでやっている人の足を引っ張るな。」これ良いでしょ。

私はこの気持ちでボランティア活動をやっています。

ボランティアというのは、さっき原沢さんがオルガンを弾いていらっしゃいましたが、その語源はラテン語ですね。

中世の教会で自発的にオルガンを弾くのを申し出て奉仕した。

それがボランタス、ボランティアになってきたんですね。自発的にやること、それがボランティアです。

 

お話したいことはたくさんありますが時間が超過しています。

これで終わらせていただきます。

これから、日光の広域ユネスコ協会を栃木県内のユネスコ協会が一緒になって育てて下さい。

日本ユネスコ協会連盟の理事としてではなく鎌倉ユネスコの一人の会員としてご一緒に見守り、またできることはお手伝いさせていただきたいと思っております。

ありがとうございました。

 

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