日光ユネスコ協会設立総会記念講演
「ユネスコ活動とわたしたち」2
〜活気あるボランティア活動の原点とは〜

2. 激動の半世紀の中で

次にユネスコの活動の中で何をし何ができなかったかということをお話します。

ユネスコはアメリカ、イギリス、フランス等の戦勝連合国が主になり第二次大戦後にスタートした機関ですが、
ユネスコを作る中心だったアメリカとイギリスが1980年代に抜けていきました。
ユネスコが挫折した一つです。
ユネスコはロンドンでできました。
そのイギリスが抜けてしまったんです。

イギリスの首相アトリーさんはロンドンにユネスコ本部を誘致したかった。それくらい熱を入れていました。
そのイギリスが半世紀近くたったら辞めていった。

また、設立ロンドン総会にきたアメリカの代表は上院議員のフルブライト、詩人で有名なマックリッシュを送り込んでいたんですね。
マックリッシュはユネスコ憲章が採択された時に本国に「今世界平和を目指す素晴らしい機関ができた。」と詩のように素晴らしい
電報を打ったのです。

それほど感激したアメリカが手を引いたのでいろいろ言われました。あの頃1980年代、新聞にいろいろ書かれました。
当時、私は連盟事務局長をしておりまして、私の事務局長の中で一番苦しかった時代ですね。

あの当時、ほとんどのマスコミは米英が抜けていくのはユネスコが乱脈な経理をしているからだ。
またパリの事務局長のムボウさんが8台も自家用車を持っているとかいろいろ書かれました。

事実ではないんですね。イギリスやアメリカの興味本意で書かれた夕刊紙を日本のジャーナリズムの
一部がそのまま翻訳して紹介してしまったんですね。私はNHKのNC9に出演していらした木村太郎さんに会い、
もう少しきちんと調べてからしゃべってくださいとお願いしたんです。

イギリスにBBC放送局がありますが「イギリスはユネスコから脱退すべきではない」と報道しているんです。
だからNHKも偏った鵜のみの放送はしないでくださいと訴えたんですが、なかなか流れはかえることができなかったのです。
なぜユネスコはその時そんな局面に立ったか。

今は皆さんわかっていらっしゃいますが、ユネスコは50年前に28カ国でスタートしたんです。大方西側の国々です。
そういう国がスタートさせたユネスコに1960年代にたくさんの独立した国々が参加してきました。
今、加盟国は186カ国で6倍以上に膨れ上がったんです。国連もユネスコもどんなに分担金を払っていても
一つの国に1票しか投票権がないんです。

アメリカは予算の大半を払っていながら1票しかない。しかし、アフリカ、アジア、中南米いわゆる88カ国の国々が結束して、
ユネスコはもっと予算を増やすべし、開発途上国を援助すべしといった議案を総会に出すと票の力でそれが通ってしまうんですね。
その繰り返しでアメリカは虚しさがあったんです。脱退したことがアメリカにとって恥ずかしいことだったということを、多くのアメリカの
知識人が言っています。

この本にも書いてあります。これは現在の大きな試練です。なぜならアメリカがユネスコの30%をこえる予算を分担
していたのですから、ユネスコは事業を縮小しなければならないわけです。今は日本の分担額が一番多いのですが、
ユネスコの総予算は東京大学を一年間運営する6分の1位の年間予算しかないんです。これで180カ国をこえる国を相手に教育、
科学、文化、マスコミニケーションの仕事をしているんです。

いかに予算の少ない中でがんばっているかということがおわかりになると思います。

民間運動で何ができて何ができなかったかということですが、それは先ほど言った日本で始まったたった一つのユネスコ協会が、
1950年の初めには全国で100以上に広がり、外国にもその動きが出て、それが繋がり世界連盟を作ったことだと思います。
いまユネスコのパリ本部にはユネスコと緊密な関係を持っているNGOが3つのランクで312が登録されています。

その中で一番重要なNGOとして16団体が第一のカテゴリーで登録されています。その中に民間ユネスコ世界連盟が入っているんです。

他に入っているのは例えば国際音楽評議会とか世界博物館協会とか歴史のある団体ですけれども、歴史の浅い世界連盟が
NGOの第一のランクに登録されているということなんです。

あそこにユネスコ協会ができたというと手を繋ぎましょうと日本が世界中を歩いて、世界連盟を作ってきたんです。
素晴らしいことだと思います。それから、先ほど素晴らしいオルガン演奏をバックにユネスコ憲章を読んでいただきましたが、
その憲章の中に重要なことが二つ有ると思うんです。

一つは「人の心の中に平和のとりでを」、もう一つは「平和というものは政府の約束だけでは達成できない。
市民レベルの協力があってこそユネスコの理想は達成できるのだ」という所です。それがユネスコが民間の50年を
考慮に入れて3年間を祝うという大事な点なんです。

国際法を専攻した方が読めばこの憲章は非常に矛盾しているという見方をされます。なぜならば各国政府が加盟します。
日本政府が加盟してその分担金と言うのは税金ですね。

政府間機関でありながら「政府の約束はあてにならない」「市民の協力、市民の知的・精神的連帯がなければユネスコは
成功しない。」と憲章ではっきり言っているんです。それがとても大事なところです。世界連盟を形成していく中で、
日本の戦後50年は穏やかに経済成長し、ユネスコ運動もそんなにきつい目にあわないですみました。

しかし民間運動だからできたということもあります。世界のユネスコクラブにあちこち行きましたが、スペインに行った時は、
フランコ政権下だったんです。マドリッド・ユネスコクラブに行くとクラブの入口が木でふさいであって入れない。

後に連絡が取れてマドリッドのユネスコクラブの幹部さんは、「今、フランコ政権下で民間ユネスコ活動はできないし、
世界人権宣言さえ読むことができないが、夜陰にまぎれて世界人権宣言とユネスコ憲章を謄写版で印刷して市民に配っている。」
というんです。

その後スペインがユネスコに加盟してフランコ政権が倒れるのですけれども、とにかく政府ができないことを常に
一歩二歩先にしているのが民間ユネスコ運動だと思います。


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