アジアユースオーケストラ鎌倉公演特集

アジアユースオーケストラ鎌倉公演概要 > AYOメンバーのメッセージ > AYO鎌倉公演を終えて

みんなの感想

◆三階で演奏を聴かせて頂きました。場数を踏んでいるオーケストラの皆さんは、緊張の様子を全く見せず、リズムに乗って体を揺らし、音楽に没頭していて、その堂々とした姿に感心するばかりでした。音は、体を包み込むような優しく自然なもので、聴いていて気持ちが良かったです。ソロの部分は、特に澄んだ音が美しかったです。僕も音楽をしていますが、本番で、とりわけソロの部分であんなに良い音を出すことは、なかなか出来ません。自分と同世代の方々が、真っ直ぐな音を鳴らしているのを聴き、良い刺激となりました。(廿枝 遼)

◆音、音楽に対する人の感性、感力、感質、は皆さんそれぞれ個性があるのは当然です。ここでは私の個性で感じたままの今回の演奏の印象をお話してみます。
AYOは、若者の力強さを矯めての演奏、若人感力での正確な音創り、が老人にはとても嬉しかったし、楽しかった。その上、リハーサルを拝見できた好機、実に嬉しかった。指揮者の団員に対する伝達声が聞きとれたらもっと楽しかった、なんて ついつい欲張ってしまいました。それほど、あのリハーサルは 魅力的でした。
有難うございました。私の場合はベートーベン5番のベースがとても心に浸み込んできます。特にピチカート奏は心がほっとします。それにホルンの吹き挙げが脳の芯を走り抜けるのが、老体に少々昔の活性が復活し、嬉しいひと時でした。老人に音楽は良薬です。AYOは私の老にはとても好く効く薬である事が解った、今回の演奏でした。
最後に、老人の我儘を言わせてもらうと、AYOには、いろいろ都合、事情は多々あるとは思いますが、鎌倉で是非、又会いたい、聴きたいと、願っている人はかなり増加している筈です故、鎌倉再登場を考えて頂けたら嬉しく思います。(西野 輝一)

◆私は昨年12月の第一回実行委員会から8ヶ月余りチケット販売管理の仕事に携わった。
準備万端に整えたつもりでも、いざチケット販売を開始すると想定外の事象の連続で苦労もしたが、公演当日のAYOの演奏はその苦パンチャス氏サイン労を打ち消して余りあるものがあった。ブラームスも良かったが、ベートベンの第五番、特に後半の演奏が圧巻でパンチャスさんの鬼気迫る指揮と、それに応えるAYOメンバーの渾身の演奏に引き込まれていった。演奏終了と同時にあがったブラボー!の掛け声と鳴り止まぬ拍手にこの公演の成功を実感した。終わり良ければ全て良し!皆様と共にこの素晴らしい公演を実現できた事に感謝する。最後に、打上げの席では大変お疲れの様子のパンチャスさんではあったが、気さくに応じてくれたサインを紹介する。(飯田茂)

◆昨日の鎌倉芸術館でのアジアユースオーケストラの演奏は本当に良かったです。
これまで小生の聴いたニューヨークフィル、ヒューストンフィルの重厚さと違って若者らしく力に満ちた演奏には別の意味で感動いたしました。
それにしても鎌倉という一地方都市のユネスコ協会でAYOを招致出来るとは、さすがに文化都市鎌倉かなと改めて実感するとともに実現にいたるまでの準備は本当に大変だったろうなと思います。また友人ともども皆AYOの演奏は本当によかったと喜んでいたとのこと申し添えます。(真船雄次)

◆8月28日にアジアの才能ある若き音楽家のオーケストラが鎌倉で演奏会を開くのを知ったのは、確か7月頃に日経新聞に掲載された演奏会の広告を見た時だと思います。中国や韓国と日本の関係が悪化し、何とかいい方向に変わってくれればいいなと思っている時に音楽家を志すアジアの若者が厳しい選抜を通って一つのメロディーを一緒になって作り上げるなんて素晴らしい、聴きに行きたいと思っていたところに鎌倉ユネスコの友人から切符を買うことができ楽しみにして聴きに行きました。
結果は全員が全身全霊をこめてひとつになって演奏する姿に本当に感動しました。夏の甲子園の高校野球選手権で選手が必死にプレイする姿と全く同じでした。純粋な混じりけのない情熱をオーケストラ演奏にたたきつけるようなエネルギーに本当に感動してしまいました。終わって演奏会場を出た時にふと手のひらがジーンとしびれているのに気がつき、「ああ、拍手しすぎてしびれているんだ」と気づいたほどで、本当に感動してたんですね。
最近は心から感動することが少ないのですが、久しぶりに若さって素晴らしい、才能って素晴らしいと心から思える演奏でした。
指揮者のリチャード・パンチャスさんのユーモアにあふれるお話しや、指揮する時の入れ込みようもさすがで、これだから若い人が付いてくるんですね。その意味でパンチャスさんにも感動しました。
若さと才能と競争と愛情に満ちた厳しい指導の結果、このような素晴らしいオーケストラが生まれたのだと思います。
朝のビジネス展望で日本総合研究所理事長の寺島実郎さんがアジアの将来の平和と結束は若い人々の交流が不可欠だと言われていましたが正にそのとおりで、98名の仲間が合宿して苦労してひとつの音楽を作り上げたという経験は深い信頼と友情をも築き上げたとパンチャスさんが言っておられましたがこのような企画がいくつもあったらいいと思います。
今回の演奏会は東北支援、将来のアジアの若者の絆づくりなどいろんな意味で非常に有意義で、また若いエネルギーと才能への感動を与えてくれたという意味で素晴らしい演奏会でした。鎌倉ユネスコさん、頑張ってください。ありがとう御座いました。(首藤達司)

◆鎌倉ユネスコ協会創立25周年記念のチャリティコンサート大成功、本当におめでとうございます。役員の皆様の準備、ホームステイ先の手配等さぞかし大変だったこととおもいますが、そのご努力の結果ではと考えました。ユースオーケストラの演奏もパワフルで一生懸命曲に取り組んでいる姿が伝わってきました。指揮者のパンチャス氏のお人柄もスピーチに表われ、若い楽員たちを愛情を持って指揮され、素晴らしい演奏になったと思い、とても感動しました。観客の拍手が鳴りやまないほどの素晴らしい演奏でした。今回のコンサートを聴かせていただき「3.11東日本大震災就学支援」に少し協力出来たことを幸せに思っています。感動をありがとうございました。(遠藤美智代)

◆我家にとっては久々のホームステイ受入でしたが本当に楽しい幸せな時をいただきました。
我家には男性楽団員2人。大阪出身の高崎雅紀君(オーボエ奏者)と中国人のフルート奏者チェン・シュン君でしたが、このお二人はツアーの最初からずっと同室だったとのことで大変な仲良し。静かにお互いのことを気遣い、またとても礼儀正しく、今時こんな爽やかな若者がいるのかと感心しました。
チェン・シュン君はAYO出演は今年で3年目とのこと。北京で勉強した後、現在はロンドンのロイヤルアカデミーで2年間の勉強中とのことで英語は現地人並み。高崎君は今年初めてですが、お二人ともとても練習熱心で早朝から大仏像前の誰もいない境内で懸命に吹いていました。毎朝さえずっている小鳥達もお仲間が増えて、さぞ嬉しかったことでしょう。目録を受け取る佐藤会長
私は唯々再会できる日を今から待ちわびています。(佐藤美智子)

◆公演会の前日私たちは鎌倉市内観光から帰ってきたAYOの面々を鎌倉芸術館に迎えた。
中国29名を始め11カ国総数98名の構成である。昼食が終わって食卓を片付けて倉庫に格納する役目の私達に数名のメンバーが黙々と笑顔で手伝ってくれた、国境を越えたその自然な行為に感動した。そして翌28日は演奏会当日である。前日の赤いTシャツの彼等は一日にして厳粛なオーケストラの団員に変貌した。彼等は僅か2ヶ月のリハーサル・キャンプでの練習で培った成果を2時間の演奏で見事に感動の結果に繋げた。今日中、日韓の難しい問題を抱えているが彼等は「音楽」という文化を通じ心を一つにして見事に手を繋いでいるではないか。1987年の創立から今日まで26年の間メンバーに選ばれた優秀な人材が国を越えて各地で活躍していることを思えば、これこそがユネスコの精神を活かした立派な演奏会であったと言わざるを得ない。(光永公一)

◆すばらしかったです。夏バテ気味の体力に若いエネルギーをいただきました。
アジアの若者たちの技術はもちろん将来に明るさを見る思いでした。指揮者のリチャード・パンチャス氏の熱意とユーモアのセンスも伝わって来ました。東日本大震災支援としてのユネスコ協会の企画は的確であったと思います。今後も期待いたします。(前田和子)

◆わが家にホームステイしたのは、16歳のコンサートマスター香港のアーロン、22歳のコントラバス奏者タイのカイでした。
アジアの青年を受け入れるのは初めて、同じアジア人で近いものを感じるはず、でも異国の青年を迎え入れる緊張感はいつもと同じでした。言葉は英語、二人にとって母国語ではなくコミュニケーションに限界がある上、二人とも物静かな性格で、時には沈黙に襲われることも。到着してティータイム、しばらくリビングでくつろいでもらった後、楽器を持っているアーロンに生演奏をしてもらい、感動でした。私のピアノにも合わせてくれて、もったいない幸せでした。夕食はサーモンのおすしや唐揚げなどよく食べてくれました。深夜バスでほとんど寝ていないという彼らに、「明日は寝たいだけ寝て」と言うと、カイが「9時半に起床」、アーロンも苦笑してうなずき、シャワーを浴び洗い髪もさわやかに、彼らは9時前にそれぞれの部屋へ引き上げていきました。翌日コンサートの感動を胸に、わが家で二軒のホストファミリーによる合同のパーティー、私のピアノの「さくらさくら」では振りをつけてのってくれ、「ふるさと」では昨年の東北の震災復興の旅を思いました。

キャリーパミュパミュもジブリも知らないクラシック一筋の彼らの連弾によるショパンで大いに盛り上がり、2歳の孫のめちゃくちゃなピアノも一生懸命聞いてくれ、「ノーアンコール!」と叫んだのには一同爆笑、やがて神奈川テレビにAYOのコンサートの模様が映し出されると、みんな興奮状態でそれぞれの携帯で撮影、盛り上がりは最高潮でした。ハードスケジュールで体調が気になる三日間でしたが、そのなか覚えたての日本語の、「ダイジョウブ?」で見せてくれた優しさを忘れません。(岸由紀子)

AYOメンバーを迎えに来たホストファミリー

◆東日本大震災就学支援のチャリティコンサートとしての演奏会、必要としている方達に少しでも気持が届くことをうれしく思い、聴きに伺わせていただきました。
いくつもの美しいメロディが現れる、私の好きな曲のひとつでもあるブラームス、そして切迫したリズムの研ぎ澄まされた演奏を聴かせて下さったベートーヴェン、ひととき暑さを忘れるあっという間の2時間でした。指揮のパンチャス氏のエネルギッシュな演奏をはじめ、舞台全体が若々しい力に満ちていたことも印象に残りました。あれだけのコンサートを実現させるためには、どれほどたくさんの方々のご尽力がなされたことだろうと思いながら帰路につきました。(石渡玲玲)

◆私がオーケストラの魅力に取り憑かれたのは、高校生の時、最初に演奏したのは、シューベルトの「未完成」でした。その後ずっと、現在に至るまで、アマチュアオケでフルートを吹き続けています。百人近くのメンバーで、一つの曲を作り上げていくその過程は、なかなか思うような音色、リズム、ハーモニーが出来ず苦労も多いのですが、本番の演奏会をやり遂げた時の達成感は、それは感動ものです。AYOは、アジア各地から選ばれたメンバーで、各個人の演奏技術はハイレヴェルですが、初めて顔を合わせる人達、その上、国も違うとなるとアンサンブルをするのは、普通のオケ以上に大変な事でしょう。芸術監督、指揮者のリチャード・パンチャス氏、それをサポートする、プロの演奏家の方々の愛情に満ちた熱心な指導、そして全員の努力によって短期間であれだけの素晴らしい演奏が出来上がったのだと思いました。ヨーロッパの作曲家の交響曲を、アメリカ人の指揮で、アジアの若者達が演奏する、音楽には国境が無く、人々の心を一つにしてくれるものだと、改めて感じました。鎌倉公演に携わった、鎌倉ユネスコ、SIAの皆様、ご苦労様でした。(林田偕子)

◆久しぶりに元気のよいブラームスとベートーヴェンを聴きました。ほんとうにユネスコの平和運動らしい筋の通った企画、それだけに裏方各位のご苦労が偲ばれました。ありがとうございました。(鈴木幹夫)

◆アジアユースオーケストラのコンサート、これぞ思い出に残るお誘い、ありがとうございました。
「こうあるべきもの!」と、耳に訴えてくるような、国境を越えた若人たちの力いっぱいに奏でる旋律の中に、温かい絆も感じ、万感一入となり、止まぬあの感動の拍手の嵐は、近年のアジアの国々との不穏な情勢のきびしさなど、吹き飛んでしまい、ひととき帰途を忘れておりました。(金子俊子)

◆ホームステイを受け入れるのは初めての体験でした。「子どもが小さい時に家族でアメリカの家庭にホームステイさせてもらった恩返しだわ!」と思い切って引き受けました。
到着の日は疲れの見えたAYOメンバーですが、びっくりするくらいの熟睡のあと、二日目からは元気な顔を見せてくれました。予想外だったのは我が子の参加!つたない英会話でしたが一生懸命話す姿には感動しました。
また、二日目の夜にオーボエ三人+トランペットのミニ演奏会ができたのもすごく嬉しかったです。別れの瞬間は寂しく、ハグしてくれたときは涙がでちゃいました。
短い間のステイでしたが、モノレールに乗って江ノ島を観光したり銭湯に行ったり思い出がいっぱい。最後には東京まで追いかけて演奏会に行ったりとすっかり「親バカ」を楽しませていただきました。
Facebookでも繋がったし、遠く離れても若き演奏家を応援していければなぁと思っています。
コーディネイトしてくださった鎌倉ユネスコ&SIAのみなさま、本当にありがとうございました。 (百瀬宏子)

◆今回、我が家には台湾から18歳のチェリストと上海からの22歳のトロンボーン奏者を迎え、息子の所属する鎌倉ジュニアオーケストラの3家族が合同で、初日の自由時間を過ごしました。
夜行バスで大阪から到着してお疲れではないか、食べられないものがあったらどうしようか、思案に思案を重ねて計画を練りましたが、喜んでいただけた様子でした。
大船から乗ったモノレールを降りたら、偶然にも片瀬のお祭りで、お囃子を聴いていただくこともできました。江ノ島を散策し、縁結びのお願いをし、島の中からバスで手広に出て回転寿司へ。『てっかまる』というそのお店は、写真を見ながらタッチパネルで注文ができ、お寿司は新幹線に乗って届きます。楽しんでいただけたようです。鎌倉ジュニアオーケストラの他のメンバーも加わり、全部で20人を超える人数での賑やかな時間でした。
翌日の演奏は、疲れをものともしない迫力の舞台で、とくにベートーベンの第五交響曲のパンチャス氏の指揮には、全身で音楽を楽しんでいる様子が溢れており、感銘を受けました。
演奏会後には田谷の天然温泉に案内しました。帰る頃に尋ねたところ、この温泉がいちばんお気に召したとのことでした。
帰宅して、炊き込みご飯とスペアリブのお夕飯のあとはミニコンサート。トロンボーンで『黒いオルフェ』や『ムーンライト・セレナーデ』、チェロで、映画『おくりびと』のテーマ、サン・サーンスの『白鳥』、息子もパーカッションで参加して『聖者が街にやってくる』。夢のように楽しいひとときでした。
このような貴重な機会をくださった鎌倉ユネスコ協会と、ホームステイのコーディネイトをしてくださった湘南国際交流会の皆様に、心より感謝申し上げます。 ( 小熊久美子)

◆今回のホームステイでわが家にやってきたのは、中国・瀋陽からのクラリネット奏者21歳と台湾からのチェロ奏者20歳。最初の晩にホストファミリー3組合同でウェルカムパーティをしたところ、彼ら6人は既にこの5週間ですばらしい友達関係を築いていたため、一気にリラックスして即興演奏をしてくれるなど、いい滑り出しとなりました。
わが家に到着すると、2人は「僕らの演奏も聴いてほしい」と、クラリネティストは軽快なモーツアルトを、チェリストは心揺さぶるバッハを披露してくれ、私たち家族は感激しきり。鎌倉ジュニアオーケストラでチェロを弾いている中1娘は、自分の演奏も聴いてもらい、得難い貴重な経験となりました。
鎌倉公演のベートーヴェン「運命」はすばらしく、東京オペラシティでのドヴォルザーク「チェロ協奏曲」、それに続くシベリウス「交響曲第2番」は、AYOならではの若さとひたむきさが凝縮され、オーケストラがまるでひとつの大きな生きもののように感じられた圧巻のステージでした。オペラシティでは、指揮者の顔の見えるオルガン席近くに座ったこともあり、オケ全体の息遣いやうねりが手に取るようにわかりました。一方で2人の表情もよく見えたため、「あ、今鼻がかゆいんだな」などと、つい母親目線でチェックを入れてしまいました。しかし、稲村ヶ崎海岸で子どものようにはしゃいでいた彼らが、ステージ上では厳しい表情でメンバーの音に耳を澄まし、指揮棒に全神経を集中させて音楽に向き合う姿には、深く深く胸を打たれました。

再開を喜ぶ2人の指揮者

AYOの経験の中で、彼らは世界の中の自国を強く意識していました。今後、さまざまな困難をはねのけ、彼らが明るい未来を切り開いていくことを願ってやみません。そして、今回の素敵なご縁をくださった鎌倉ユネスコ協会と湘南国際交流会の皆さまに、心からの感謝を申し上げます。 (永田久美子)

◆あまりにも短い我が家での滞在時間でしたが、 食事タイムはゆっくりと過ごし、子供達とも会話が弾みました。
「もんじゃ焼き」は国境の垣根を無くすベストなおもてなしだったと思います!楽器を触らせてもらったり(もちろん演奏も!)AYOのオーディションの様子などを聞き、いつか私もAYOに!と娘達の夢がまた一つ増えました。演奏会も素晴らしかったです。是非また鎌倉で開催を! (齊藤ちとせ)

◆リチャード・パンチャス氏の人間味あふれる指揮の魅力と、若き才能ある演奏者の純粋な表現力に圧倒された。私は若い頃からベートーヴェンが大好きだ。「運命」という表題も好ましい。
交響曲第5番は技術的にも充実した作品であり男性的な作曲家の感性の世界をあまねく見ることができたと思うのである。見上げると空は紺碧、天女の羽衣を思わせるかの様な真白な雲、自然の美しさに驚きつ、何事にも心を打たれた1日であった。佐藤美智子会長の優しい笑顔、そしてコンサートスタッフの皆さまお世話になりました。楽しい想い出を一杯、いっぱいありがとうございました。(赤尾道子)

◆アジアユースオーケストラ(AYO)と鎌倉ジュニアオーケストラ(KJO)に交流が始まったのは、ちょうど一年前でした。昨年8月6日、真剣に指導するパンチャス氏KJO専用携帯電話に突然、見覚えのない電話番号から、メールが入りました。「御相談があります。ぜひお時間をとって頂けませんか」。
もともと好奇心をエネルギーに生きてきた私は、迷わず電話をかけてみました。その相手が湘南国際交流会の早川さんだったのです。話の内容は、海外のオーケストラの団員のホームステイ先を探しているという予想外の話でした。翌日、約束した場所へ行きますと、鎌倉ユネスコ理事3名と彼女が待っておられました。そこでまず、鎌倉ユネスコ側から、アジアユースオーケストラのこと、鎌倉に演奏会を招致したこと、滞在中の団員宿泊先として同じ音楽を志す鎌倉や藤沢など、近隣の子どもたちとの交流を兼ねてホームステイの協力を求めたいという説明がありました。
鎌倉ジュニアオーケストラの一番の誇りは、子どもの健全な育ちのためのオーケストラ活動であることです。この点において団長田辺先生の哲学は一貫しており、トレーナー先生方も能力で子どもを見ることは一切なく、全員に実に献身的な愛情を注いでおられます。音楽でのエリート育成ではないため、生え抜きであるAYOの団員とはちょっと距離があるなあという気が、一瞬、私の胸をよぎりました。しかし、音楽が好きだという思いと、それに取り組む姿勢の必死さにおいて、KJOの子どもたちは非常に純粋であることを日頃から私は痛感しておりま時には優しくなごやかにした。
その説明を聞いておられた鎌倉ユネスコの方々が、KJOの姿勢や子どもの姿に深く関心をよせて下さり、ホームステイだけではなく、他の音楽的な関わりを創ることが出来たら、こどもにとっても素晴らしい体験になるのではないかという提案を持ちかけて下さったのでした。
田辺先生も私と同じ点で最初は懸念を抱かれましたが、子ども同士の交流は、大人の想像の及ばぬ豊かさがあるだろうと許可をされ、団員保護者にホームステイ協力の呼びかけをすることを決めたのです。
再び鎌倉ユネスコの方にお会いしたとき、そこにAYOの日本事務局長佐藤氏がお越しくださっていました。そして佐藤氏の方から、リチャード・パンチャス氏によるKJOの子どもたちへのワークショップの可能性を示して下さったのです。これは鎌倉ユネスコからのご進言によるものでしょう。
この世に神様はいるのだと、私はこのときに実感しました。
それから、KJOはAYOの説明会を開き、ホームステイ参加呼びかけと同時に、AYOの団員オーディション募集の声掛けも行いました。
今年3月、そのオーディションのために来日されたリチャード・パンチャス氏によるワークショップが、小学校2年生から高校3年生までのKJO団員全員を対象に行われたのです。
日頃の自分たちの練習会場に「コンニチハ!」と手を上げて気さくに現れたパンチャス氏の笑顔。音楽の楽しみや心が震える感動の中に、いつの間にか皆を引き込んでいくパンチャス氏の存在感と、音楽を学ぶ者に対する純粋な愛情を、KJOの子どもたちは一生忘れることはないでしょう。
リチャード・パンチャス氏にご指導を受けた「ウィリアム・テル序曲」をメインにした「かまくらこどもコンサート」が、1週間後に開催されました。
そして58名だった団員が、わずか2か月後、80名を超え、さらにこの8月、30周年の定期演奏会では鎌倉芸術館の大ホールが3階席まで満席に埋め尽くされたのでした。
鎌倉ユネスコの皆様の温かいご協力、ご支援があった上での信じられない快挙でした。
ずっと鎌倉の片隅で地味に活動をしてきた小さな団体にとって、これは奇跡でした。
夢のようなことが、それもこどもたちの前で実現した事実は、子どもたちの今後に、大いに励みと自信を呼び込むことでしょう。昨年からのAYOとの関わりは、私の人生を根底から感動的なものに変えてくれました。音楽と子どもの活動に、この鎌倉で携わることができたことを心底、誇りに思います。
お世話になりました皆様、そして音楽好きな子どもたちの未来が輝かしく発展することを、これからもずっと願い続けております。(高橋尚美)

◆平塚湘風高校合唱部19名は加藤先生のご紹介でアジアユースオーケストラ公演を鑑賞させていただきました。3階の学生席から
鎌倉芸術館に行ったのもオーケストラを聴くのも初めてでしたが、迫力と音色の豊かさに驚きました。とても楽しかったです。
演奏している団員が11ヶ国もの国々から集められた若者達で構成されており、世界各国で公演活動を行なっていると知り、私達も頑張ろうと思いました。
加藤先生、ユネスコ鎌倉の皆さま、ありがとうございました。 (美本真菜子)

◆演奏会の前日、午前9時過ぎ、鎌倉芸術館側面入り口で大阪からの夜行バスでのメンバーを迎える。
30分程芸術館集会室での休憩の後、メンバーはチャーターミニバス5台に分乗して先ず高徳院へ。アテンドは各バスの27人を担当。大仏迄は大阪からの夜行バスのせいか皆眠そう。高徳院に着き大仏に出逢った途端、皆の目が輝いた。佐藤会長から歓迎の挨拶に続き大仏の説明をしていただき、鳩サブレーと冷たい飲み物のもてなしでくつろぐ。深い礼拝を続けるタイの団員も。胎内めぐりの順番を待つ者も。30分の滞在の後お庭を拝観して、八幡宮へ向かう。途中、海岸沿いの走行では光る海と海水浴客に皆の目が集まった。鶴岡八幡宮では、東南アジアの皆さんには、お御籤が大人気。境内が広いので、カップルは森の方へ。集合時間まで戻るか心配だったが、赤のポロシャツのユニフォームなのでなんとか見つけて呼び戻し、12時30分の芸術館戻りに間に合う。なにしろ、当日初めて会った、国も違い、名前や顔も覚えきれない団員のこと、時間通りの戻りが心配だった。これには添乗リーダーの神澤さんが作った、ネームカードと封筒によるチェック方式が大変役に立った。前日の観光では、普通のポロシャツを着た青年達の、翌日のオーケストラメンバーに変身しての素晴しい演奏はいつまでも胸に響いた。(丸山泰世)大阪発の夜行バス

◆この度のAYO 2013 鎌倉公演において鎌倉ユネスコ協会より楽団員のホームスティの要請があり、我が湘南国際交流会も全面的に協力することとなり、我が家も2名の若き音楽家(日本人のK君と香港のF君)のスティをお世話させて頂きました。
ホストファミリーの方の中には「ホームスティ=外国人の宿泊」の固定観念があり日本人の宿泊には違和感を持たれた方もいたようですが、私などは我が家で面倒が見切れぬ点を日本人がカバーして貰えるものと逆に喜んでいました。一方、昨今の中国人観光客のマナーが問題になっているので心配しましたが、香港から来たF君は純粋無垢な男で、そこまでしなくても良いのにと思うところまで家族の者に気配りをしていました。さすがにAYOでは演奏者としての技量の他に人格も考慮されたのでしょうか???。
2人が滞在中は、夜遅くまで家内と大学2年生の娘との4人の会話がほとんどでしたが、お互いの家族やガールフレンドの話題等で盛り上がっていたようです。食事については朝食分は前日にデパートに連れて行き好きな食材を購入し翌朝食べさせ、最初の晩の夕食はF君の希望によりラーメン屋に行くことになりました。彼によれば日本のラーメンは香港よりはるかに美味しいとのことです。二日目は家庭料理でしたが自らおかわりするなど食欲旺盛でほっとしました。F君には約30年前に私が訪れた時のスライドを見せたところ、自分の家はここにあると教えてくれました。F君は最終日別れの涙を見せていましたが、いつになるか分からない再会を誓って鎌倉駅で別れました。K君は関西に住むお母さんが上京し東京公演を見るとのことですが自身が活躍するパートが少なく少々残念がっていました。彼はAYOの公演が終了すると本格的な職探しとなるようです。彼は、アジア各地公演中日本人と外人との間の通訳的存在でもあったようで、F君とも6週間寝食を共にし大分お疲れの様子でした。この公演ツアーが終了したら新たな道で活躍して欲しいものと蔭ながら応援しております。(小川清)

◆久々に魂を揺さぶられる感動を覚え、喜びと驚きの2時間でした
改めて音楽の素晴らしさに触れ身も心も癒されました。ありがとう!(小泉郷子)

◆①指導者のユーモアある態度、また若い人への熱のこもった温かさ溢れる思いが満ちているように感じられた。すばらしい指導者でした。
②若さ溢れた演奏に心打たれました。音楽に対するひたむきさ、総てを吸収しようとする態度が荒削りではあるが、聴く人を引きつけたと思います。久しぶりに若い人の力を目の前に見ました。
③中国の人が多かったと思いますが、草の根運動につながればと思います。日本人の優しさを感じたでしょうか。ありがとうございました。(清水隆之)

◆我家でのホームステイは初体験である。
戸惑いはなかったけれど一体どのような人が来るのか、それなりの不安と期待があった。カードを持って出迎えるホストファミリー
芸術館での初対面はスムーズで、彼らは若く音楽を愛する好青年たちであった。瞬時にして自分の立場が理解できた。私には男の子がいない。彼らを「息子」としての待遇で通そう。彼らが「息子」であれば、それを見守る「父親」だ。家内も「母親」になってあげればよい。家内はピアノ、娘もバイオリンをやっていたし、私も自作のチェロで頑張っている。呼び名はすぐに決まった。台湾は「ヒロ」インドネシアは「ビガ」。多少海外生活の経験があり、会話には高を括っていたが、とっさの時は、「アー、ウー」の連続で情けない。彼らの方は日常の会話は日本語でと努力してくれた。
ヒロもビガも食事は美味しいと言ってくれて、家内は目を輝かせて喜んでいた。彼らはすぐに我家に溶け込んでくれた。受け入れには私なりの期待感があった。それは私の自作のチェロとの共演である。二人ともバイオリンで都合がよかった。
食事の準備まで時間があった。ビガはピアノ、ヒロは私のチェロをそれぞれの方法で弾きだした。ビガは、私が練習中の楽譜を見て、バイオリンに替えて“アストリリータ”と讃美歌を演奏した。一瞬のうちに我家は音楽堂。これが音楽家たちとの交わり方なのだと、心底から幸せを感じた。しかし、私の一方的な幸せは崩れ去った。食事をして部屋に戻ったヒロとビカは布団に横になると動かなくなった。彼らは長旅で疲れていたのだ。我家は疲れをいやす「場」としなければならないのだと悟ったのである。部屋の行燈も気に入ったようだし蛍光灯の明かりと違う日本風の温かみが好きだと言っていたのを思い出し、明日からの期待に満ちた小さな国際交流の初日は終わったのである。(大窪瑞麿)

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